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改 名

今は外国人の活躍ばかりが目について全く興味がなくなった大相撲ですが、子供の頃は大好きだった私。

当時は大横綱・大鵬をはじめ所謂キレイな力士が多かった気がします。

その中の1人で私のお気に入りだったのが、

 龍 虎 

今日は、この元・小結の命日・一周忌にあたります。

龍虎(本名:鈴木 忠清)さんは、1941(昭和16)年に東京都大田区で生まれました。

都立大森高校を中退して花篭部屋入りし1957年に初土俵を踏んだ彼は、身長が186cmありながらヒョロヒョロ。

入門同期には、後の横綱・北の富士がいましたが、彼曰く 「50人の同期新弟子の中で、オレと龍虎が最も弱かった」そうな。 


しかし結果的にその中で関取になったのが彼ら2人だけだったそうですから、勝負の世界は分かりません。

彼の四股名は、『鈴木山』 を皮切りに 『花武蔵』 → 『若神山』 → 『花武蔵』 と変遷しましたが、中々番付が上がらず。

そこで1966年5月場所の前に、師匠の花篭親方から

「双葉山関や大砲関のように、漢語由来の四股名にすれば出世する」

と言われた彼は、『龍虎』 に改名。

するとそれが功を奏したのか、1967年3月場所に十両入りし晴れて関取になると、翌年3月場所に新入幕。

初土俵から新入幕まで11年は、当時のスロー記録でした。

横綱・大鵬から金星を挙げたり、3場所連続優勝力士に土をつけるという珍記録も作った龍虎是は1970年3月場所、遂に念願の小結昇進・三役入りを果たします。


        

当時は体重が130kgにまで大きくなり、均整のとれた体格と甘いマスク・・・まさに五月人形のよう。

人気は力士の中でも1,2を争っていたと記憶しています。

しかし、ケガが彼の行く手を阻みました。


1971年11月場所で取組中にアキレス腱断裂の大ケガを追い休場。

以後3場所連続休場を余儀なくされ、番付は一気に幕下まで転落。

これではあまりに可哀想・・・ということで、相撲協会は(その年に横綱・玉の海が急病で亡くなったこともあり)『公傷制度』を導入。

ところが皮肉なことに、制度導入のきっかけとなった龍虎自身には適用されませんでした。

しかし捲土重来を期した彼は、見事復活。

実力で這い上がり、1975年1月場所に再び小結にカムバック。
幕下まで降下しながら再び三役入りした史上初の力士となりました。

しかしその4ヶ月後の5月場所で、またしてもアキレス腱を断裂。

結局この場所限りで現役引退を発表。

幕内成績は240勝262敗5休で勝率は5割を切り、小結在位僅か4場所・・・ではありましたが、まさに記録よりも記憶に残る二枚目力士でした。

その美形(と美声)を生かした彼は、放駒親方を襲名したものの1977年に廃業し、タレント業に転身。


おそらく若い方々は、彼の土俵姿ではなく背広を着て 『料理天国』 で美味しそうに食べる彼の姿しかご存じないのでしょうネ。

       

        


その他にもドラマや映画に俳優として出演したり、歌手としてレコードも出したり、また大相撲が不祥事などで話題になるとコメンテイターとしてワイドショーに出演したりと大活躍。

しかし昨年8月29日、家族で神社参りをした際に階段で心筋梗塞を起こして倒れ、お子さんたちの蘇生を試みたもののその甲斐なく、病院搬送後に死亡が確認されました。

それまで1990年・2008年とクモ膜下出血で倒れていた龍虎さんには、真夏の階段登りが想像以上にキツかったのかもしれません。

でも73歳は元力士としては長命・・・現役引退後の活躍を合わせれば、充実した一生を送られたたのではないでしょうか?

それも、四股名の改名があったからこそだったのかも。

(※ちなみにタレントとしての芸名も、龍虎の他に 『龍虎 孝宗』、その後 『龍虎 勢朋』 と改名していました。)

あらためて改名王子 ジャナカッタ 〝角界の二枚目〟のご冥福をお祈り致します。笑3




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