FC2ブログ
国 産

何とも切ない弦の響きが心に沁みる楽器・・・今日はその

 ヴァイオリンの日


なのだそうです。

この楽器の代表作といえばストラディバリウスですが、その名器とこの記念日は関係ありません。


今から135年前の今日・1880(明治13)年8月28日に、東京・深川に住む松永定次郎氏が国産第1号のヴァイオリンを完成させたことに因むとか。


この松永氏、実は三味線作りの職人さんだったんです。

彼が 「西洋には三味線に似た音色の良い楽器がある」 と聞き、それがニコライ会堂にあると知った彼は、そこを訪れて現物を目にします。

見た目で図面を書き取って帰ると、輸入ラシャの外箱を使って製作したのだとか。

そしてこのヴァイオリン製作を工業化・量産化することに成功し、『日本のヴァイオリン製作の祖』といわれる職人が登場します。 その方の名は、

 鈴木 政吉  (1859-1944)


         



名古屋・尾張藩士の次男として生まれた彼も、偶然ながら元・三味線職人でした。

手先が器用な父親が内職で琴や三味線を作っており、一旦奉公に出た政吉氏も父親が立ち上げた琴三味線店を手伝うように。


しかし彼が26歳の時に父親が亡くなり、文明開化の影響で和楽器職人では食えなくなった彼は、子供の頃から父親の勧めで続けていた長唄を生かして音楽教師の道を模索します。

これが運命の分かれ道・・・彼が教師になるべく唱歌を習っていた愛知県尋常師範学校の同門だった甘利鉄吉氏が所有していたヴァイオリンを目にしてその美しさにすっかり魅了されたことが、彼をヴァイオリン職人への道へと誘うことに。

そして彼が見たそのヴァイオリンこそが、松永定次郎氏の作品だったのです。


「ヴァイオリンを作れば売れる」 と甘利氏に言われた彼は、その初めて目にした楽器を模写し、それをもとに第1号を製作。

       

             鈴木氏の記念すべき初作ヴァイオリン


学校の音楽教師に高く評価された鈴木氏は続けて2作目を製作するとすぐ売れたことで、彼はヴァイオリン職人として身を立てることを決意。

一度は舶来品のヴァイオリンに押されますが、その修理を任されたことでノウハウを蓄積し、1890(明治23)年には自宅の向かいに工場を建設。

同年に開催された第3回内国勧業博でヴァイオリン部門の最高賞・3等有功賞を獲得。

その後北米コロンブス世界博の賞碑や第4回内国勧業博の進歩賞など数々の賞を受賞し、海外でもヴァイオリン好きの科学者・アインシュタインから激賞されるなど、その品質の高さを評価されるように。


1927(昭和2)年には昭和天皇との単独拝謁の栄に浴し、その3年後には株式会社鈴木バイオリン製造を設立。

戦後の混乱や不景気などによる分社や倒産など紆余曲折はありましたが、現在でも同社は国内唯一のヴァイオリン製造会社として国内シェア30%以上を占め、1本10万円未満からプロ仕様の100万円以上のヴァイオリンを製作し続けています。

日本人の高い技術力は、こんなところにも発揮されているんですネ。

最後に、亡くなる3日前まで工場でヴァイオリン作りを続けたという根っからの職人・鈴木政吉氏の口癖をご紹介します。


それは・・・〝ふたつのぼう〟

つまり、「辛抱」 と 「貧乏」。

結婚式のスピーチにも使えそうなこの言葉は、時代は変わっても技術立国・日本を支える職人やエンジニア・・・いや人間が生きていく上での背骨になりそうですネ。笑2




スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック