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不 買

ここ数年、賞味銀の偽装など食品の安全性を揺るがす事件が相次いで起きましたが、おそらく日本国内における最初の大規模食品事故といえるのは

 森永ヒ素ミルク事件


でしょう。 この全国的に拡大した赤ちゃんの食品中毒が発覚したのが、今からちょうど60年前の今日でした。

1955年6月末頃から、西日本一帯の人工栄養児に下痢や発熱が続き、飲んだミルクを吐くという症状が多発。

しかし当初はその原因が分からず奇病扱いされていたのですが、岡山大学医学部法医学教室が森永ミルクからヒ素を検出。

それを新聞各紙が同年8月24日付の朝刊で一斉に報じ、大騒ぎになったのです。

調査の結果、森永乳業・徳島工場で製造された缶入り粉ミルク『森永ドライミルク』の製造過程で用いられた第二リン酸ソーダに多量のヒ素が含まれていたことが判明。

          


この第二リン酸ソーダは、当時まだ流通システムが未発達だったため搬入過程で乳製品の酸化を防げず、その凝固防止のために使用されていた薬品。

同社では試験段階で純度の高い試薬1級のものを使用していましたが、導入時には価格の安い低純度の工業用のものを使用。

工業用第二リン酸ソーダの用途はボイラーの洗浄や殺虫剤など・・・こんなものが赤ちゃんのミルクに混入したのですから、たまりません。

翌年2月の厚生省発表では死亡した乳児131名、中毒症状を起こした乳児が12,159名。

(※これはあくまで発覚後1年以内での数字ですから、実際にはこれ以上の被害があったはず。)


1958年生まれの私・・・もしあと3年早く生まれていたら、と思うとゾッとします。


被害者の親たちは同盟を結成し森永製菓に対して補償交渉を行いましたが、国や厚生省は企業側寄りの対応を行ない、結果的に殆どの被害者は不満の残る妥協案を吞まされることに。

しかし岡崎哲夫氏ら少数の被害者らはその後も粘り強く運動を続け、再びこの事件が脚光を浴びたのは、世間がこの事件を殆ど忘れていた14年後のこと。

大阪大学医学部・丸山博教授らによって、森永ミルクを飲んだ子供たちに後遺症の可能性があることを学会で発表。


これを再びマスコミが取り上げたことで問題が再燃。

しかし当初森永乳業はその被害の原因を第二リン酸ソーダの納入業者に押し付けていましたが、民事裁判中に国鉄がボイラー洗浄剤として使用する前の品質検査でヒ素を検出・返品していたことが発覚。

それを検査せずに食品に使用していた森永側の対応に、世論は反発。

結局、森永乳業は1970年に被害の原因が自社製品に混入したヒ素化合物であることを認め、1973年に財団法人ひかり協会を設立し被害者の恒久的な救済を行なうことに合意。

強気だった同社がそうせざるを得なくなっキッカケは、被害者団体が呼び掛けたことによる全国的な森永製品の不買運動でした。


     

             岡山県内での抗議デモ


1960年代に始まった不買運動が全国に波及したために、それまで業界トップだったシェアを大きく落としたことに危機感を募らせ、大幅に譲歩せざるを得なかったのです。

まさに民衆の力が大企業を屈服させた好例といえましょう。

とはいえ、現在60~61歳になられている被害者の中には、今でも脳性麻痺・知的障害・てんかん・精神疾患などの後遺症に苦しんでいる方が約700名もいらっしゃるとか。

60年前の事件は過去形ではなく、現在進行形であることを忘れてはいけません。



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