1977(昭和52)年から夏に琵琶湖で開催され、読売テレビ(日テレ)系列で放送される『鳥人間コンテスト選手権大会』・・・毎年楽しみにしている方もいらっしゃるでしょう。
「空を自由に飛びたい」という願望は人間なら誰しも持ったことがあるでしょうし、それを具現化したこの番組が40年以上にわたり続いている人気番組であることが、それを証明しています。
この番組の中で最も飛行距離が長い〝人力プロペラ機ディスタンス部門〟がありますが、ここで飛ばされる
人力飛行機
が日本で初めて飛んだのが、今から55年前の今日でした。
この人力飛行機制作にチャレンジしたのは、日本大学工学部教授で、後に初の国産旅客機〝YS-11〟開発にも関わった日本航空学会の重鎮・木村秀政氏。
人力飛行機に関しては、過去世界中で制作が試みられてきましたが、1959年に〝クレーマー賞〟から人力飛行機の開発に懸賞金がかけられたことから開発が本格化。
そして1961年にイギリスのサザンプトン大学が初の飛行に成功し、翌年には同じくイギリスのデ・ハビランド飛行機会社の開発チームが910mを記録。
このニュースを聞きつけた木村教授が、卒業研究のテーマとして人力飛行機を取り上げることに。
学生たちは熱心にこの課題に取り組み、遂に1966(昭和41)年2月27日・・・3年がかりで開発した〝リネット号〟が僅か15mながら飛行に成功したのです。(世界で4番目)
既に複数の飛行機開発に携わっていた木村教授ですが、この時は学生達と握手したり肩を叩いて喜びを分かち合ったそうですから、本当に嬉しかったんでしょうネ。
以来木村教授の研究室では毎年卒論研究としてほぼ1機の割合で人力飛行機の制作に取り組み、代々課題を継承しながら改良を重ねていきました。
その結果、1976(昭和51)年に〝ストーク号〟で446mの日本記録を、そして翌年には〝ストークB号〟で2,093m・滞空時間4分27秒という当時の世界記録を叩き出したのです。
彼等は前述の〝鳥人間コンテスト〟で第10回から新設された人力プロペラ機ディスタンス部門にも参加し、第11回から3連覇するなど優勝候補の常連でしたが、ここ最近では2016年を最後に優勝からは遠ざかっています。
現在の世界記録は、マサチューセッツ工科大学の飛行距離115km。
そして日本記録は、日大チームが出した飛行距離49.172km。
フロンティアとしてのプライドにかけて、是非日大チームには世界記録の更新を期待したいところです。
