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身代わり

2月26日といえば、多くの方が二・二六事件を思い浮かべるはず。

皇道派の影響を受けた一部の陸軍将校らが約1,500名の下士官兵を率いて今から85年前・1936(昭和11)年の今日クーデターを企て、高橋是清ら4人の重要人物(と警官5人)が殺害されました。

 ※高橋是清に関する過去記事は、こちら。(↓)



実はその4人の中に、本来クーデターの標的ではなかった人物が1人いました。 それは

 松尾 伝蔵 陸軍歩兵大佐


この方、反乱軍の標的だった岡田啓介首相の秘書であり、身代わりというか人違いで殺害されたのです。

松尾大佐は、1872(明治5)年に福井藩の槍術師範だった父の長男として現在の福井市に生まれました。

陸軍士官学校を卒業後日露戦争に従軍し、旅順包囲戦や奉天会戦などで戦功を挙げると、1917に陸軍歩兵大佐に昇進しシベリア出兵に従軍。

1921年予備役に編入された後は郷里の福井に帰り、福井市議に就任。

退任後は在京軍人会の会長を務めるなど、面倒見の良さから周囲に信頼され親しまれたとか。

その彼がなぜ岡田首相の秘書を務めたのかというと・・・彼の奥さんが岡田首相の妹、つまり首相の義弟だったから。(岡田・松尾両名とも福井・旭地区出身の同郷)

1934(昭和9)年に岡田首相が誕生するや、彼自身が「傍らで働きたい」と申し出ると、全ての公職を辞して4歳年上だった義兄の秘書官となったのです。

その言葉通り、松尾秘書官は首相官邸に住み込んで甲斐甲斐しく岡田首相の世話をしたそうですが・・・2月26日午前5時、機関銃やピストルで武装した反乱部隊約300名がその官邸を襲撃。


警備の警官4名を次々殺害しましたが、その間に松尾秘書と土井巡査が岡田首相を女中部屋の押し入れに隠すと、その場を離れて中庭へ。

そこで反乱部隊と遭遇し、松尾秘書官は15発もの銃弾を浴びて憤死、土井巡査も抵抗の末銃剣で刺殺されました。


兵士らは遺体を首相の居室に上げ布団に横たえましたが、遺体の顔や欄間にかかっていた岡田首相の肖像画を興奮のあまり銃剣で突いてしまい顔がよく分からず、てっきり岡田首相本人と勘違いし目的を果たしたと喜んだとか。


    


上の写真、左が岡田首相で右が松尾秘書官ですが・・・まぁ似ていると言えば似ていますが、暗殺を企てながらそのターゲットの顔をロクに知らなかったとは、いかにもお粗末。

結果、岡田首相は義弟が身代わりになってくれたおかげで間一髪難を逃れ、他の秘書官の機転で翌日訪れた多くの弔問客に紛れ官邸脱出に成功しました。

無給で義兄に尽くした松尾秘書官は身代わりとなって本懐を遂げた形となりましたが、事件後憔悴した岡田首相は3月6日に内閣を総辞職。


終戦後の1952年に岡田首相は亡くなりましたが・・・事件から16年後にあの世で再会した義兄弟は、一体どんな会話を交わしたのでしょうか?


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