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移 転

8月9日で 『野球の日』・・・だからと言うわけではないですが、今日は日本野球界と縁の深いメジャー・リーグ球団・ドジャーズの元オーナー

 ウォルター・フランシス・オマリー

    Walter Francis O'Malley


の命日にあたります。

        


1903年にニューヨークのブロンクに生まれた彼は、フォーダム大学などを卒業し、地下鉄エンジニアから弁護士になったという変わり種。

彼の運命を変えたのは、1942年に当時ブルックリンを本拠地にしていたドジャーズの顧問弁護士になったことでした。

一昨年、映画 『42』 が公開されたことで日本でも広く知られるようになりましたが、ジャッキー・ロビンソンを黒人初のメジャー・リーガーとしてプレーさせたのがこのドジャースであり、彼が在任中だった1947年の事。


そして1950年に前オーナーのブランチ・リッキーがパイレーツから誘いを受けて退任し、オマリーは彼からドジャーズ株を買い取ってオーナーに就任。

そして新オーナーとして下した大きな決断・・・それは、本拠地の移転でした。

当時のドジャーズの本拠地はニューヨークのブルックリンでしたが、球場の観客収容数が3万3千人と少なく、また駐車場も手狭。

オマリーはブルックリン地区内に新球場建設を目論みましたが市側と折り合いがつかず、また同地区内に移民が増えて治安が悪化し白人富裕層の流出が止まらなかったため、遂に西海岸への移転を決定。

1957年のシーズン終了後、ドジャーズはロサンゼルスに移転。
(同時にジャイアンツも本拠地をニューヨークからサンフランシスコに移転。)

日本で言えば、ヤクルト・スワローズを大阪に移転するようなものですから、当然ブルックリンのファンからは猛烈な非難を浴びました。 しかしオマリーの

「野球場にファンを呼ぶには球場を楽しく美しいところ、つまり男がガールフレンドを連れて行きたくなるような場所にすることだ」


というポリシーに従って1962年に56,000人収容の綺麗なドジャースタジアムが完成すると、連日観客は大入り。

    


私は大学時代に日本代表のブラジル遠征に参加した際、帰路ロサンゼルスに立ち寄ってこのドジャースタジアムを見学したのですが、その広いグランドと巨大なスタンド、そして日本では観たことのない広大な駐車場に唖然としたことを今でも憶えています。


そしてドジャーズは球団経営に終身雇用制を採用し家族主義的な経営を行った彼がオーナーを務めた1950~1969年まででワールド・シリーズ4回・リーグ優勝8回という強豪チームに変貌したのです。


そしてその間ベロビーチにあるドジャータウンに読売巨人軍の春季キャンプを受け入れ、牧野茂コーチが〝ドジャー戦法〟を土台とした緻密な野球(スモール・ベースボール)を導入。

これがON砲の破壊力と相まって不滅のV9に繋がったことは、皆さんもご存じの通り。

そして1970年から彼の後を引き継いでオーナーに就任したのは、息子のピーター・オマリー。

彼もまた1995年に野茂英雄投手を受け入れ、その後の日本人プレーヤーのメジャー移籍の先鞭をつけました。

1979年8月9日に75歳で天に召された稀代の名球団経営者の冥福を祈るとともに、オマリー父子の日本球界に対する貢献に感謝したいと思います。笑3


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