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器 用

おそらく多くの方が学校の日本史で、この珍名さん(?)の聞き覚えがあることでしょう。

 十返舎一九

今日は、この江戸時代後期に活躍した戯作者・浮世絵師の命日にあたります。

(※この珍名の由来は、当時〝黄熱香〟というお香が10回焚いても香を失わないと言われたことから、『十辺(遍)舎』、『一九』は幼名の市九から来ているとのこと。)


          


1765(明名2)年に現在の静岡市葵区で生まれた彼の本名は、重田貞一・・・つまり彼は武士であり、父親は町奉行所で同心を務めていました。

かりし頃は江戸や大坂で武家奉公をしていましたが、なぜか武士を捨て浪人に。

そして大阪で浄瑠璃作者になった後、30歳の時に再び江戸に戻って
出版業者・蔦屋重三郎の食客となり仕事を手伝う内に、戯作の道へ。

彼には師匠がおらず、独学で黄表紙(現代の大人向けコミック誌)・洒落本・人情本などを書き、更には筆耕・版下書き、おまけに挿絵まで描き、他人の出版まで助けたと言いますから、版元にとっては実にありがたい器用な作家だったようです。

その彼の代表作・出世作といえば、なんと言っても


 『東海道中膝栗毛』 (岩波文庫・刊)


    

1802(享和2)年、37歳の時に初版 『浮世道中膝栗毛』 として刊行されたこのシリーズ本は、ご存じ弥次郎兵衛(弥次さん・49歳)と、居候の喜多八(喜多さん・29歳)2人がお伊勢参りを思い立ち、江戸を出立、更に京都・大阪を巡る旅日記。


(※栗毛は馬を表し、膝栗毛とは自分の膝を馬替わり・・・つまりは徒歩という意味)


彼自身の江戸~大阪の往復経験を生かし、行く先々の土地の様子を二人の狂歌の応酬などを織り交ぜた紀行文は、大ヒット。


(※但し彼自身、京都には行ったことがなかったそうな。)


ちょうどその頃は寺子屋制度が充実し、識字率が高まったことも背景にあったと言われます。

この旅日記は彼自身も取材旅行に出かけながら続編を含め約20年間のロングセラーを続けました。

今も人気タレントがぶらり旅をしたり列車や高速道を使って各地をルポするTV番組が人気ですが、昔から日本人の旅への関心は高かったんでしょうネ。


彼自身、「最近ではいつも出版元から担当者が来て、机の横で原稿が出来るのを待っている」と書き残していますから、まるで現在の人気作家と同じく締切に追われる毎日だったのかも。あせあせ


同世代で活躍した曲亭馬琴共々、原稿料だけで生活できた日本初の作家ともいわれていますが、残念ながら46歳頃から眼病を患い、更に58歳で中風に罹ってからは創作活動は出来ず、以後は名義貸しだけだったともいわれています。

故に晩年は生活が苦しく、1831(天保2)年8月7日に67歳で没しましたが、その時世の句は

   〝此世をば どりやおいとまに せん香と

                      ともにつひには 灰左様なら 〟

と、最期まで洒落っ気は健在だったようです。

若い頃には大阪と東京で2度結婚・婿入りしたものの離縁させられた経歴を持つ江戸時代の人気作家が手掛けた旅日記・・・当時の風情を感じつつ、皆さんも一度読ゆるりと読んでみてはいかがでしょうか?笑3



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