あれから、早や70年の月日が流れました。
1945(昭和20)年8月6日午前1時27分、原子爆弾〝リトルボーイ〟を搭載してマリアナ諸島テニアン島を離陸したB29・エノラ・ゲイは、同日午前8時15分に広島市上空からこれを投下。
〝リトルボーイ〟は地上600mで核分裂爆発を起こしました。
爆発によって放出されたエネルギーは、TNT火薬15,000トン分。
これはB29爆撃機3,000機分の通常爆弾が一度に投下された分量に相当するそうで、同年3月10日の東京大空襲で投下された総重量の実に8倍(!)の爆弾が一瞬・同時に炸裂したことになります。
(※3日後、長崎に投下された〝ファットマン〟は、この〝リトルポーイ〟の更に約1.5倍の破壊力だったそうな。)
爆心地における爆風の風速は、音速を超える秒速440m(!)と推定され、台風の中心風速の約10倍。
半径2km以内の木造家屋は全壊したそうです。 また核分裂によって発生した火球の表面温度は数千度と推定され、爆心地の地表は3~4,000℃に到達。 この原爆1発により、この年12月までに亡くなった方は9~12万人と推定され、戦後60年以上経った今日も被爆者として苦しんでいる方が何人もいらっしゃる、長崎の原爆投下と並んで人類史上最も忌まわしい爆撃であることは明白。 私たちは、〝人類史上唯一の被爆国の国民〟として、二度と再びこのような非人道的な爆弾の使用を許さぬよう、全世界に平和を訴える責務があるはず。 また同時に、被爆体験者の方々の生々しい証言や残された写真・遺留品等を決して隠すことなく次世代に伝え、その悲惨な史実を後世に語り継がねぱなりません。 そして私にはどうしても納得のいかないことが、ひとつあります。 もう過ちは繰り返させませぬから・・・。
確かに、この原爆投下によって終戦が早まり、ソ連による北海道上陸や連合軍による国土分断を回避したという意見もあり、それを否定することは出来ないでしょう。
しかしそれは別にして、これが近年のイラク戦争など比較にならぬ非戦闘員たる市民を無差別・大量虐殺であったことを、絶対に忘れてはなりません。
それは広島平和記念公園内に設置されている原爆戦没者慰霊碑の碑文。
「安らかに眠って下さい。 過ちは繰返しませぬから。」
これは当時広島大学教授だった雑賀忠義氏が撰文・揮毫したそうですが、これでは日本が加害者のようにも読めます。
原爆投下70周年の今日、私はこの非人道的爆撃で亡くなられた多くの犠牲者のご冥福を祈りつつ、こう誓いたいと思います。
どうか安らかにお眠り下さい。