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ハシカ

ここのところ、安保法制関連法案を巡ってSEALDsとか高校生が「戦争反対」などとデモをしているようです。

まぁ彼らでなくても私だって戦争はまっぴら御免ですが、ではなぜ安保法制関連法案が通れば戦争になるのか?・・・それに具体的な理論で答えられるデモ参加者がどれだけいるのか、疑問ではあります。

しかし中高年世代の目からすれば、それはあたかも約半世紀前の安保反対デモとダブるのではないでしょうか?

彼らのデモを後ろで糸を引いているのは共産党を始めとする左翼勢力でしょうが、実はあの田中角栄・元総理の秘書として有名だった早坂茂三氏も、かつては共産党員として活動した前歴がありました。

その早坂氏の著書 『駕籠に乗る人・担ぐ人
(集英社文・刊)から、彼自身の回顧録を以下に編集・抜粋にてご紹介しましょう。


         ◆     ◆     ◆     ◆

人の評価は柩を覆われた後に定まる。

政治家・吉田茂が残した功績は、焦土に佇む国民から一人の餓死者を出さなかったことだ。 同胞が血で血を洗う内乱状態を作り出さなかった。

昭和27年4月28日、対日講和条約、日米安全保障条約(旧条約)が発効して、日本は独立を回復し、西側自由主義陣営に投じた。

鮮烈な足跡であった。


「ヤンキー、ゴーホーム」 「アメリカ占領軍は日本から出ていけ」 「吉田を倒せ」・・・若い頃の私は、そんな大声ばかり出していた。

昭和25年4月、函館から上京、早稲田の学生になった私は、年少血気に溢れ、愚直な田舎者だった。 西も東も分からない。

共産党幹部の公職追放、朝鮮戦争の勃発、レッドパージ。
その手は大学教授に及ぶ気配だった。

おかしい。 日本は戦争に巻き込まれるのではないか。 

戦前の軍国主義に逆戻りするかもしれない。

私は日本共産党員になった。 

レッドパージ反対、単独講和反対。 全面講和を結べ。 

毛沢東・周恩来の中国を敵にするな。 社会主義の砦・ソ連を守れ。


しかし私如き若輩がいくら血相を変えても、世の中の動き・世界の大勢に何の影響もなかった。

日本共産党は骨肉の争いで四分五裂にやせ細り、労働者階級はメシを食うのに精一杯。


農地改革で田んぼ持ちになった農民は、田植えや稲刈りに忙しかった。

援軍来たらず。 我笛吹けど、誰も踊らず。
落胆した私は共産党の内輪もめに嫌気がさし、憑き物が落ちて離党した。

昭和45年6月、日米安保条約が自動延長になった。

田中角栄は4期目の自民党幹事長職にあり、親方の佐藤総理を助けて、自動延長の党内調整に汗を流した。

その頃、フランスの有力紙 『ル・モンド』 の極東総局長ロベール・ギランが田中にインタビューした。

話しの最中に学生たちのデモ隊が 「安保反対」 と叫んで、党本部前を続々と行進していく。

窓際に立ったギランが尋ねた。

「田中さん、あの学生たちをどう思うか?」


       

             田中角栄氏と早坂茂三氏(右)

「彼らは日本の大事な息子達です。 
今、ハシカにかかっているが、間もなく治る。

学窓を出て社会人になり、所帯を持って子供が出来る。
父親になれば、世の中が理想や理屈通りにいかない、それが分かってくる。

大学でロクに勉強もせず、マージャンだこを作り、女の子の尻を追いかけ、外車の名前ばかり覚えてくる者に比べて、連中の方が遥かに見込みがあります。

バカとハサミは使いようである。
使う方さえしっかりしていれば、将来あの学生たちは世の中の役に立つ。」

笑顔で答えた角さんは、そばにいた私を指して言った。

「彼も昔は、あの連中の旗頭でした。 
しかし今は私の仕事を手伝ってくれている。 少しも心配は要りません。」

ギランは、「ウィ、ムッシュ。」 と微笑し、仕方なく私も苦笑した。

          ◆     ◆     ◆     ◆

「安保条約を結んだら、日本は再び戦争に巻き込まれる」

当時のデモ隊は声を大にして叫んでいましたが、安保締結後に日本が戦争に巻き込まれることはありませんでした。

しかし今、当時全学連で活動していた残党(?)が性懲りもなく再び若者をデモに引き込んでいるようです。

歴史は繰り返すといいますが、デモに参加する若者たちには是非冷静に歴史を学び早くハシカを治して欲しいものです。

そのエネルギーを、もっと自分のため有意義に使ってほしいですから・・・。





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