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切 腹

今時の国会は予め質問を提出し、それに対する答弁も用意した原稿を棒読み・・・後は下品なヤジが飛び交う程度で、居眠りする先生方が多いのも頷ける内容。

しかし今から78年前の今日・1937(昭和12)年1月21日に国会内で行われた論争は、とても居眠りなど出来ない凄まじい内容でした。

 腹切り問答

と後世言われるようになったこの言い合いは、政友会の濱田国松議員の発言がキッカケで勃発しました。


濱田議員は三重県選出の衆議院議員。

それまで当選12回連続で議員歴30年、この前年まで3年間衆院議長も務めた大物。


        

その衆院議長在任中に二・二六事件が起こり、軍部の台頭と政治干渉に強く反発していた濱田氏は、この日の演説で痛烈に軍部を批判する演説を行います。

これに対し廣田首相が答弁したのですが、収まらなかったのは寺内寿一陸相

「私も一言ご答弁申し上げます。」

と自ら演壇に立ったのです。

寺内陸相は、第18代内閣総理大臣も務めた寺内正毅元帥の長男。

皇族以外で唯一親子二代で元帥になったのですが、後にインパール作戦を黙認し多大な犠牲者を出したり、愛人の赤坂芸者を軍用機で呼び寄せて豪遊した人物。


        

渾名が〝瞬間湯沸かし器〟だったという彼は濱田議員の発言に激高し、軍人に対する侮蔑的な発言だと反論。

しかし濱田議員は2度目の登壇で、「私の発言のどこが軍を侮辱したのか?」と反論。

対して寺内陸相は「侮辱されるが如く聞こえた」と言い直したものの、濱田議員は収まらず。 3度目の登壇で、

「速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する。 なかったら君、割腹せよ。」


と詰め寄り、対する寺内陸相が壇上から濱田議員を睨みつけたため、議場内は騒然。

結局議会は翌日から停会に。

それでも怒りが収まらない寺内陸相は議会解散を廣田首相に詰め寄り、結局廣田首相は閣内不統一を理由に内閣総辞職に追い込まれてしまいます。

弁論では濱田議員に軍配が上がりましたが、:結果的により一層軍部の政治介入を招く結果になったのは、何とも皮肉。

さて、腹を切れ・切らぬと大立ち回りを演じた2人は、その後どうなったのか?

結局双方とも腹を切ることはなく、濱田議員は2年後に71歳で他界。

そして寺内陸相は敗戦翌年、マレーシアで拘留中に66歳で病死しています。

総じて 「腹を切る」 などと口にする人に限って、実際にそれをやる度胸のある人は少ないもの。

そういえば、二言目には「命懸けで」とか「議員生命を懸けて」と口にする国会議員が昨今多いですが・・・その通り実行した議員さんを、私は知りません。

〝口だけ番長〟って人は、何人も知ってますが。うー

私たちが求めるのは、〝有言不実行〟ではなく〝不言実行〟の政治家なんですけどネ。



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