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ワルツ王

クラシック音楽ファンにとって新年恒例といえば、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートですが、その際に演奏されるのが、

 
ヨハン・シュトラウス2世
     Johann Strauss II.


の曲。 今日は、『美しき青きドナウ』や『皇帝円舞曲』など数々の名曲を遺し〝ワルツ王〟と呼ばれる彼の命日にあたります。


        


シュトラウスは、1825年にウィーン近くのザンクト・ウルリッヒで生まれました。

父親は、言わずと知れたヨハン・シュトラウス1世。
有名な作曲家・音楽家であることは、皆さんもご存知でしょう。

母親のマリアは居酒屋の娘で、シュトラウス2世は婚前妊娠・・・まぁ、今風に言うなら〝できちゃった婚〟でした。

彼が生まれた時、既にウィンナ・ワルツの作曲家として有名だった父は厳格に自らの楽団を統率すると共に、家庭内でも厳しく体罰を厭わなかったようですが、音楽家の生活が不安定であることを熟知していたが故に我が子がその道に進むことを良しとせず、息子たちが楽器に触れることを厳禁。

しかし他の家庭でも一般的に行われていたピアノの練習だけは認めていましたが、ヨハンが弟ヨーゼフと連弾して遊んでいることを出入りの楽譜業者から聴きつけた父が目の前で弾かせてみたところ、その出来の良さに喜び、褒美にマントを買い与えたとか。

まぁ有名音楽家も人の親というか、親バカというか・・・。

しかしカエルの子はカエル、ヨハン2世は音楽への思いは断ちがたく、父親に内緒でヴァイオリンの弾き真似を鏡の前でしていたところ、それを見つけた父親が激怒してヴァイオリンを叩き壊してしまいます。

普通なら子供にとってトラウマになりそうな出来事でしたが、それを救ったのが母アンナでした。

彼女は息子にすぐさまヴァイオリンを買い与え、息子をバックアップ。

実はヨハン1世は女性好きで愛人の元に入り浸って家庭を顧みようとせず、その夫に対しアンナは嫉妬の炎を燃やし息子を夫以上の音楽家に育て上げることで復讐しようと考えたようです。

そのおかげで私たちは素晴らしい音楽に接することができるのですが・・・実はヨハン2世も音楽だけでなく女性好きも受け継いだようで、生涯に3回結婚しています。

       

               3番目の妻・アデーレと

そんな母の思いに応えるべく、彼は密かにヴァイオリンを練習。

一旦は簿記を学びましたが、17歳の時に音楽の道に専念することを決意。

教会のオルガン奏者ヨーゼフ・ドレクスラーに師事し、本格的に音楽を学び始めます。


そして息子が自分のライバルとなることに反対した父親の様々な妨害工作にもめげず、彼は18歳の時に自らの楽団を率いてデビュー。

自らヴァイオリンを弾きつつ楽団を指揮するスタイルで、この時のために作曲したワルツ数曲を披露したところ、見事に大成功。


ヨハン2世はこのコンサートで指揮者・ヴァイオリン奏者・作曲家としての才能を聴衆にアピール・・・翌朝の新聞には、

こんばんはシュトラウス1世、おはようシュトラウス2世!

という有名な見出しが紙面を飾りました。

これにより、父子は完全なるライバル関係に。
そして母アンナが夫に離縁状を叩きつけて離婚。

1世と2世は完全に決裂・・・かと思いきや、彼らはその後お互いを助け合う関係になったといいますから、分からないものです。


その後1848年革命に加担するなどして政府から睨まれたこともありましたが、ロシアやアメリカでの公演やオペレッタへの進出の成功により、その名声を更に高めます。

そして1894年に音楽生活50周年の祝賀行事を盛大に催された彼が肺炎により73歳でこの世を去ったのは、1899年6月3日のことでした。

単に巷でワルツ王と呼ばれただけでなく、同時代に活躍した多くの音楽家も彼を絶賛。 プラームスは、


シュトラウスの音楽こそウィーンの血であり、ベートーヴェン・シューベルトの流れを直接受けた主流。」

と高く評価しました。


       
                 
ブラームス(右)と


葬儀の際には国民10万人い所が参列したという、オーストリアを代表する作曲家の冥福を、小澤征爾/ウィーン・フィルの優雅な演奏を聴きつつ、祈りたいと存じます。



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