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決 戦

今から115年前の今日・1905(明治38)年5月27日から2日間にわたり、日本の将来を大きく左右した戦闘が行なわれました。 


それは、司馬遼太郎さんの名作・『坂の上の雲』 の主人公の一人、秋山真之が参謀として大活躍した


 日本海海戦


南下政策を進めるロシア帝国を相手に、これを阻止せんとする日本が朝鮮半島・満州地域を主戦場として1904年2月から開戦した日露戦争は、陸海軍とも一進一退。


長期戦を嫌気した日本がアメリカ・ルーズベルト大統領に依頼した和平交渉も、当時世界一といわれたバルチック艦隊を有するロシア側が拒否。


遂に(対馬沖を中心とした)日本海で、我が連合艦隊とバルチック艦隊の全面対決が不可避となりました。


前年8月に起こった黄海開戦で自国の太平洋艦隊が日本に敗れたロシアは、その2ヵ月後にバルチック艦隊の主力を極東に派遣することを決定。


バルト海沿岸の軍港を出航し、大西洋から南アフリカの喜望峰・インド洋を回る7ヶ月もの大航海を経て日本海に到達。

    


迎え撃つ我が国連合艦隊は、東郷平八郎司令長官指揮の下、

「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」

を意味するZ旗を旗艦・三笠に掲げ士気を鼓舞。


 ※三笠に関する過去記事は、こちら。(↓)



2倍の兵力を持つバルチック艦隊に対し、当時常識外とされた敵艦の鼻先で舵を切ってターンする〝丁字戦法 (トーゴー・ターン)〟を敢行して一気に優勢に立つと、翌日の昼前にはロシア側が降伏。

       


バルチック艦隊は被撃沈16隻(戦艦6・他10)、自沈5隻、被拿捕6隻という、艦隊の大半を失う大損害を被り、一方連合艦隊の損失は水雷艇3隻沈没のみ。


大艦隊同士の決戦としては、史上稀に見る一方的勝利を収めました。扇子


この決戦の大勝利によって戦局は大きく日本側に傾き、ポーツマス講和会議での和平交渉成功に至ります。


当時世界最強といわれたバルチック艦隊を東洋の島国艦隊が撃破したことは、世界中から驚異の目で見られました。


何故なら世界史上初めて、非白人小国が白人大国に勝利したのですから!


当時ロシアの圧政に苦しんでいたトルコでは、この一報に狂喜乱舞。


東郷元帥は国民的英雄となり、子供に 〝トーゴー〟 と名づける親が続出。


また 道路にも〝トーゴー通り〟が現存しています。

       


そして私が誇りに思うのは、同海戦で6,000名以上出たロシア人捕虜に対し、我が国は当時の戦時国際法を忠実に遵守し手厚く保護したこと。

この行為は世界各国から賞賛されたのですが・・・現在の学校教育における歴史の授業では、こういった功績を殆ど教えていません。うー


 

先人の立派な行為を子供たちに教えないどころか、いつまでもお詫びを繰り返す現代のヘタレ政治家・官僚たち。

私はどこかおかしいと思うのですが、皆さんはいかがお考えになりますか?

因みに大東亜戦争後GHQによって廃止させられましたが、5月27日はこの海戦の勝利を祝う 『海軍記念日』 でした。


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