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超長期

「平時は合議制民主主義でも良いが、有事の際は強いリーダーの登場が望ましい」

とよく言われます。

日本ではその好例として織田信長の名が出ますが、彼の場合は天下統一の志半ばで亡くなってしまいました。

しかしこの方は、第二次世界大戦後に祖国の独立を果たすと同時に初代首相に就任、その後30年余りにわたってその地位を守った、まさに強烈なリーダーシップの持ち主。

今日は、そのシンガポールの


  リー・クアンユー  元首相
  Lee Kuan Yew


の命日・没後5周年にあたります。


        


にこやかながらも強い目力を感じさせる彼は、1923年生まれ。

曽祖父が広東省からイギリスの海峡植民地だったシンガポールに移民した客家系華人の4世にあたり、英語を話す上流階級の出だったそうですが、逆に中国語は話せなかったとか。

ラッフルズ大学に進学したものの、大東亜戦争時に日本軍のシンガポール占領によりイギリス植民地政府が崩壊したため学業を中断。

その後闇市で接着剤を売ったり、シンガポール華僑粛清事件が起きた際は危うく難を逃れると、1943~44年には日本軍に協力して連合軍の通信傍受・翻訳業務に従事。


終戦後はイギリス・ケンブリッジ大学のフィッツウィリアム・カレッジに留学して法律学を学び1949年に首席で卒業すると、同年に帰国後弁護士資格を取得し法律事務所に勤務。


その勤務先の上司が親英政党・進歩党の候補者として立法審議会選挙に立候補。

その運動員を務めたことが、彼の政界入りのキッカケに。


労働組合や学生自治会の法律顧問を務めた際、華人系の住民と繋がりを持つようになり、労働組合の運動指導者にまでなった彼は、1954年11月に人民行動党を創設し党書記長に。


1957年にシンガポール市民権法が成立し、1959年6月に行われた総選挙で同党は51議席中43議席を獲得。

国内の自治権を獲得したシンガポールの初代首相に就任したクアンユーは、イギリスから独立を果たしたマラヤ連邦との合併を画策。

1963年にはマレーシアの一部となりましたが、マレー人と華人との人種対立が激化。

1965年8月9日にマレーシア議会がシンガポールとの関係断絶決議を可決したため、シンガポールは独立国家に。

しかし天然資源や水源が乏しく、また軍事力も脆弱な同国の船出は、多くの難問が山積していました。

 

この国難を乗り越えるべく、シンガポールは独立翌月には国際連合に加盟し、1967年8月には東南アジア4ヶ国と共にASEAN(東南アジア諸国連合)を設立。

また税制優遇措置を実施し、外国資本誘致による輸出志向型工業化戦略を打ち出すことにより、雇用も促進。

その一方で観光局を設置して観光事業に力を入れ、観光立国化にも成功、外貨獲得の有力な柱となりました。

クアンユーは1990年に退任するまで30年余りにわたって首相に在任し、不本意な独立から国土面積が東京23区程のシンガポールを、見事東洋有数の安定国家にしたのです。

退任後も上級相や政府顧問として隠然たる力を誇示したクアンユーが肺炎から合併症を引き起こし、91歳でこの世を去ったのは、2015年3月23日。

没後TIME誌が若き日のクアンユーの写真を表紙に掲載したことからも、その影響力の強さが偲ばれます。

        

現在国難を迎えていると言っていい日本にも、彼のような強烈なリーダーシップを持つ指導者の登場を期待する国民は少なくないでしょうが・・・果たして?


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