FC2ブログ
後 任

今日は、世界各国の名だたるオーケストラを指揮・監督した名指揮者、

 クラウディオ・アバド

  Claudio Abbado

の命日・一周忌にあたります。

1933年ミラノに生まれたイタリア人の彼・・・父親がヴェルディ音楽院の校長を務める音楽一家で育ちました。

ヴェルディ音楽院からウィーン音楽院で指揮を学んだ彼は、1959年に指揮者デビュー。

そして1963年にミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝してヘルベルト・フォン・カラヤンに見出され、1965年のザルツブルク音楽祭でデビューを果たし一気に国際的知名度が上がりました。


1968年にはイタリア・オペラの殿堂ミラノ・スカラ座の指揮者になると、1977年には音楽監督に。

しかし何故かプッチーニなど一部のイタリア・オペラの演奏はせず・・・独自のポリシーを持っていたようです。

その後1979年にはロンドン交響楽団の首席指揮者に、その4年後には音楽監督に就任。

更には1986年にウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任すると、同地を本拠とするウィーン・フィルとも協演を重ね、名声は高まります。

そして彼が最も脚光を浴びたのは、1990年・・・カラヤンの後任としてベルリン・フィルの音楽監督就任した時でしょう。


       

偉大なるカラヤンの後任が誰になるのか?

下馬評ではロリン・マゼールが圧倒的有利と言われていましたが・・・いざ楽団員投票をしてみると、アバドが得票を伸ばして就任が決定。

(この結果にショックを受けたマゼールは、以後9年間ベルリン・フィルとは協演しませんでした。)あせあせ


帝王・カラヤンが長年支配していた世界最高峰のベルリン・フィルを引き継ぐプレッシャーは、凡人の想像を絶する重さだったと思います。

リハーサルでは殆ど言葉で指示を出さず、指揮棒と身体の動きで音を創り上げる手法は独特だったそうで、その音楽性にはカラヤンとの比較も相まって評価は様々だったとか。

しかし残念なことに、彼は2000年に癌に侵されてしまいます。

手術によって復帰を果たしたものの以前に比べて痩せてしまった彼は、2002年に芸術監督の座をサイモン・ラトルに譲ることに。

在任期間12年は本人、ベルリン・フィル双方にとって若干短かったかもしれません。


退任後も現場に身を置き、若手の育成に力を入れましたが、昨年1月20日・・・胃癌により80歳で天に召されたのです。


私自身、年代的にはベーム・カラヤン・バーンスタインをよく聴いたものの、アバドがベルリン・フィルを振った時期は殆どCDを聴く機会がなく、故に彼の音楽を殆ど知りませんでした。


彼の演奏をまとめて聴けたのは、一昨年秋のこと。

10~11月に購入したベルリン・フィル100周年記念BOXとウィーン・フィル交響曲全集の中に、彼の演奏CDが17枚入っていたから。


       
同じ名門オームストラでも、時代や指揮者の違いで紡ぎ出す音色は随分違うことに改めて気付きましたが、まさかその2ヶ月後に彼が亡くなるとは。

(こんなことなら、もっと早くカラヤンの後任だった彼の音楽を聴いておくべきだった。)


と一瞬思いましたが、たとえ肉体は滅びても彼が造り出した芸術作品はいつまでも聴くことができ、永遠に人々の心を揺さぶってくれます。

あらためて、〝カラヤンの後任者〟アバドの冥福を祈りつつ、今宵は彼の音楽に耳を傾けたいと思います。笑3



スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック