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遺 恨

日本にも一部に熱狂的なサポーターがいますが、その過激さにおいてはラテン系の中南米に比べたらまだ紳士的といえるかも。

それが極限に達した時、対戦国同士が戦争になった・・・という話は多く方がご存知だと思います。 その所謂


 サッカー戦争


が中米のエルサルバドルとホンジュラスの間で勃発したのが、今から46年前の今日のことでした。

             


そのキッカケは翌年に開催されたW杯メキシコ大会の中米地区予選。


両国とも予選の決勝に駒を進めたのですが、まず1969年6月8日にホンジュラスのテグシカルパで行われた両国の直接対決・第1戦は大荒れ。

その前夜アウェーのエンルサルバドル代表チームが投宿したホテルを地元住民が取り囲み、一晩中クラクションを鳴らしたり投石をするなど騒ぎ続けて選手を安眠させず、その成果(?)のおかげかホンジュラスが1-0で勝利。


この敗戦にショックを受けた18歳のエルサルバドル人女性がピストル自殺を遂げ、彼女の葬儀には大統領や閣僚、同国の代表選手が参列し、その模様が全国に中継れたと言いますから、もうタダでは済みません。


翌週、そのエルサルバドルで行われた第2戦では、逆にホンジュラス選手のホテルが取り囲まれ、騒音を撒き散らしたばかりか窓ガラスを割って腐った卵やネズミの死骸を投げ込むという過熱ぶり。

ホンジュラスの選手は軍の装甲車に乗せられてスタジアム入りするという異常事態に。

試合は3-0でエルサルバドルが雪辱しましたが、同地に入ったホンジュラス・サポーターが襲われ2名が死亡。

その報復を恐れたホンジュラスに住んでいたエルサルバドル人約1万2千人が祖国に避難すると、同国は6月27日にホンジュラスとの国交断絶を宣言。

ホンジュラスも翌日同様に国交断絶を宣言・・・もう歯止めが効かなくなってしまいました。

そして6月27日にメキシコシティーで行なわれた最終戦は大幅に観客を削減し両国のサポーターの間に機動隊員が配置されるという緊張状態の中、3-2でエクアドルが勝利し出場権を獲得。

この直後から国境線を挟んで小競り合いが頻発し、遂に7月14日エルサルバドル軍がホンジュラスの主要都市を空爆。

本格的な戦争が開始されたのです。


・・・・とはいえ、両軍の戦力はエルサルバドル軍が兵力15,000名で戦闘機12機、ホンジュラス軍が兵力6,000名で空軍機16機とごく僅か。

しかも両軍とも保有していたのはプロペラ機でした。

    

             当時のエルサルバドル空軍基地


これでは局地戦がせいぜい・・・戦争は僅か4日後の18日朝、米州機構(OAS)のガロ・ブラザ事務総長の仲介により和平案について合意が成立。

その後8月3日に両軍の撤退が完了、終戦となりました。

人類史上最後のプロペラ機によるこの戦争では、両軍合わせて3,000人前後が戦死、4,000~12,000人が負傷したといわれます。


ただ両国民の名誉のために申し添えますが、この戦争は決してサッカーの試合のみによって引き起こされたわけではなく、それ以前からあった両国間の国境・不法移民などが直接の対立問題であり、サッカーの試合はその引き金になったにすぎません。


とは言え、以後両国の国交が回復したのは11年後の1980年、サッカーの試合が再開されたのもその年のことでしたから、遺恨は両国間に長らく残ったのかも。

救いは、その2年後のスペインW杯に両国とも仲良く出場できたこと・・・でしょうか?笑2

やはりスポーツは平和の祭典であるべきですネ。





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