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俊 足

今日は、昭和から平成時代にかけてアニメなどの声優として活躍した

きもつき かねた

肝付 兼太 さん


の命日・没後3周年にあたります。


        


肝付(本名:兼正)さんは、かつて島津氏と熾烈な勢力争いをした戦国大名・肝付氏の末裔として、1935年に鹿児島市で生まれました。

3歳の時に引っ越して東京で育った彼は、中学生時代にNHKのラジオ番組『話の泉』の公開録音を見学した際、「この場所で仕事が出来たら・・・」と思ったのがきっかけで、エノケン(榎本健一)に憧れて映画俳優を目指します。

しかし祖母から「俳優をやれる容姿じゃない」と言われ、ラジオドラマなど声だけで勝負する声優を目指すことに。

今から考えれば、おばあちゃんは先見の明があったのかも?

帝京高校時代に自ら演劇部を創部し芝居の道に進むも、父親の死去により大学進学を諦めざるを得なかった彼は、高島屋に勤務する傍ら、劇団七曜会に入団。

同会がNHKの仕事を受注していたことから、彼もNHKのラジオドラマに出演するようになると、プロの役者を目指すため高島屋を退社。

しかしすぐに役者で食える訳もなく、旅行会社の添乗員や靴磨きなど、様々なアルバイトで凌いだとか。


1956年公開の 『こぶしの鼻の咲くころ』 でデビューしたものの、映画俳優としてはあと1本の作品に出演したのみ。

ラジオドラマや洋画の吹き替えで出演していた彼を救ったのは、国産アニメの登場でした。


そして『エイトマン』などの作品に端役で起用されるようになった彼の運命を好転させてくれたのは、あの藤子不二雄さん。


「スタジオの外だと面白いのに、中ではつまらない」

とマネージャーに言われた彼か、開き直ってアドリブを入れまくって収録したところを、たまたま見学に来ていた藤子さんが手を叩いて大喜び。

すっかり気に入られた肝付さんは、それ以降ご指名で役をもらえるように。

『ジャングル黒べえ』 で初主役を務めましたが、何と言っても当たり役は、1979年の放送開始以来26年間にわたって担当した、『ドラエもん』(テレビ朝日版)の骨川スネ夫でしょう。


       


また 『おそ松くん』 のイヤミや 『銀河鉄道999』 の車掌、『ドカベン』 の殿馬一人等々多数の役をこなし、また自ら劇団を立ち上げプロデュースする一方、東京アニメーター学院・声優科の講師を務め若手を指導するなど多方面で活躍した肝付さんが肺炎により80歳でこの世を去ったのは、2016(平成28)年10月20日のことでした。

その肝付さん、容姿は俳優向きでなかった(失礼!)とは言え、運動神経は抜群で、ゴルフを始めスポーツ全般何でもこなしたそうな。

特筆すべきは、その健脚ぶり。

50歳の時に 『ビートたけしのスポーツ大賞』 の100m走に出場し、11秒2という驚異的なタイムを叩き出して優勝!

少しトレーニングすれば、ワールドマスターズゲームズに出場できたかもしれませんネ。

そんな肝付さんの懐かしい声を聴きつつ、韋駄天声優のご冥福をお祈り致します。



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