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ルールブック

80年以上の歴史がある日本プロ野球では、これまで何人もの名選手が活躍してきましたが、何人か歴史に名を残す名審判も。

今日は中でもプロ野球史上に燦然と輝く名(迷?)セリフを残した、


  二出川 延明 さん 


の命日・没後30周年にあたります。


        


・・・と言われても、若い方は殆どご存知ないと思います。 


それもそのはず、彼が審判として活躍していたのは1963年まで。


私も彼の現役時代を直に見たことはありませんから。


1901(明治34)年、兵庫県に生まれた二出川さんは明治大学で現在の東京六大学の前身・五大学リーグで活躍。

当時は選手が審判を務めていたそうですが、その技術は当然のことながら未熟。

それに不満を感じた二出川選手は、後輩にルールの問題を出すなどしてレベルアップの向上に務めたそうですから、審判になる素地を持っていたようです。


大学卒業後、大阪のクラブチームを経て和歌山県の海草中学(現・県立向陽高等学校)の監督に就任し、チームを甲子園大会の決勝まで導きます。

そして1934年に日米野球の代表メンバーに選出され渡米すると、その翌年に大日本東京野球倶楽部(巨人の前身)に入団。 

初代背番号1をつけてプレーし、翌年のアメリカ遠征では副将を務めました。


        

                 左が二出川選手


そしてプロ野球史上初の金銭トレードによって名古屋金鯱軍に監督兼任プレーヤーとして移籍。

※この時、金鯱軍に勧誘したのが7年後輩で後に審判となり、あの天覧試合の主審を務めた島秀之助さん。(↓)


 



1936年、日本職業野球連盟が結成されると同時に、審判に転身。

1950年のリーグ分裂に伴いパ・リーグの審判となり、1960年審判部長に就任、その3年後に引退。


そして1970年に野球殿堂入りし、1989(平成元)年10月16日に88歳でこの世を去りました。。


この二出川さん・・・選手時代の成績は地味ながら、審判としては様々なエピソードを残しています。


彼は日本プロ野球史上、初の退場を宣告 (※東京セネタース・苅田久徳選手 因みにこの苅田氏も現役引退後審判となり、二出川氏と同僚に) した審判としても知られていますが、誤審をした翌日の新聞にその証拠写真が掲載された時も、呼び出したリーグ会長に向かって


「それは写真が間違っています。」


と言い放ったこともあるそうで・・・。驚き顔 ス、スゴイ!


そして、〝不滅の名セリフ〟が飛び出したのは、今からちょうど60年前・・・1959年7月19日の大毎オリオンズ対西鉄ライオンズの一戦。


微妙なクロスプレーでセーフの判定を下した塁審に納得できない三原監督が、審判控室にいた二出川さんに 「ルールブックを見せろ」 と抗議した際に発せられたのが、


「俺がルールブックだ!」 怒


さすがの名将・三原監督も、10歳年上の二出川さんにはそれ以上食い下がることができなかったとか。

しかし実は彼、この時に限って自宅にルールブックを忘れていて、出すに出せなかった・・・という裏事情があったそうですから、何とも微笑ましいです。


    

       水原監督・長島選手のアピールを受ける二出川審判


またある時、ド真ん中のストライクをボールと判定し、抗議した投手を


「気持ちが入っていないから、ボールだ!」


と一喝。 ところが言われた投手は怒るどころかその言葉に感銘して、以後手抜きをしないようにした・・・という、感動的なエピソードも。


プロ野球界では審判の権威低下が言われて久しいですが、昔はこんな毅然とした方がいたんですネ。

ベンチから二出川審判をヤジろうとした野村克也選手が、鶴岡監督から 「やめておけ」 と叱られたそうですから。

今、監督にそこまで言わせる審判が、果たしているかどうか・・・。


古き良き時代だったと言ってしまえばそれまでですが、ビデオ判定にはない人間臭さが良いですょネ。


一時、〝好プレー・珍プレー特集〟 の常連、〝ム・ラ・タ・だ!〟でお馴染みだった村田康一さんのような名物審判もいましたが、現在では残念ながらそういう個性的な方は見当たりません。


スター選手だけでなく気骨ある審判が何人か出てくれば、プロ野球の面白さも幅が出ると思うんですが・・・果たして二出川さんは、草場の影でどう思っているんでしょうネ?


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