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沈 才

 「才は沈才たるべし、勇は沈勇たるべし、
              孝は至孝たるべし、忠は至忠たるべし」

自らこう語った通り決して表舞台に立つことはありませんでしたが、日本近代史においてその影響力が少なからずあった大物・・・といえば、

 
頭 山  満  翁


今日は、『大アジア主義』 を掲げ自ら行動を起こし続けたこの思想家・活動家の命日・没後75周年にあたります。


       

教科書に登場しないため一般的にはあまり知られていない方であり、ともすると〝右翼の巨頭〟などと言われてもいますが、実際にはそんな一言で片づけられるべきでない傑人だった・・・と私は思います。


1855(安政2)年に福岡藩士の三男として生まれた満少年は、幼い頃から腕白だった反面記憶力抜群の切れ者・・・しかし家が貧しかったためサツマイモを売り歩くなど苦労をしていたとか。


母方の頭山家を継ぐことになり、太宰府天満宮の〝満〟から名前を授かって頭山満と名乗るようになった彼は、16歳の時に勤王派の女医が主宰していた興志塾に入門。


そこで徹底した実践主義を学んだ頭山青年は、1876(明治9)年に勃発した秋月・萩の乱に呼応し福岡藩士の蜂起を画策して投獄・・・釈放されたのは尊敬する西郷隆盛が自刃した当日のことでした。


24歳の時、薩摩にある西郷の旧宅を 「西郷先生に会いに来ました」 と突然訪ね、「西郷はもう亡くなったよ」 と家人に言われた頭山氏は、


「いえ、西郷先生の身体は死んでもその精神は死にません。

私は西郷先生の精神に会いに来たのです。」


と答えたそうですから、若くしてその高い精神性と西郷に対する深い尊敬の念を持っていたことが伺えます。


       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

                 24歳頃の頭山青年


その後大久保利通暗殺を受けて蜂起を促すために会った板垣退助から、逆に


「近代国家を歩み出したばかりの日本は、憲法制定や責任内閣制を実現させることを何よりも優先すべし」


と諭された頭山氏は、武力闘争から一転して自由民権運動への参画を決め、地元福岡で向陽社を、更に同社を改名する形で1881(明治14)年に 『玄洋社』 を結成。


  第一条  皇室を敬戴す可(べ)し
  第二条  本国(日本)を愛重す可し
  第三条  人民の権利を固守す可し

 


を憲則として掲げた同社には、西郷隆盛を信奉する者が60名以上も結集。


また向陽社から派生して設立された向揚義塾は、後に現在福岡の進学校として名高い修猷館の源流であり、川上音二郎・緒方竹虎・中村天風・広田弘毅など、多くの人材を輩出しています。


しかし玄洋社旗揚げと同時期に政府が国会開設の詔を発布。


板垣退助が自由党を結成して政党政治の時代に入ると、頭山氏は党利党略に明け暮れる政治家に嫌気し、農業に精を出すように。


そして1892年の第2回衆院選で政府側が敗北すると、約束を違えた松方正義首相に幻滅した彼は国内政治に見切りをつけると同時に、視線を世界に向けるように。

そして嘗て西郷隆盛が目指した 『大アジア主義』 (アジア諸民族の連帯・団結によって西洋列強国の侵略に対抗し、新しいアジア構築を目指す思想) に傾倒していきます。


          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

                  30歳代後半


その思想に基づき、1904(明治37)年に日露戦争が勃発すると、玄洋社は満州義軍を結成して当地で馬賊を組織し、ロシア軍を撹乱するなどしました。


また亡命した孫文の支援や、インドの独立運動家ラス・ビハリ・ホースをかくまうなど独自の活動も展開。


しかし朝鮮併合に反対し、満州事変・日華事変にも心底憤っていたという頭山氏にとって、自ら掲げた大アジア主義が軍部を中心としてその後のアジア支配を目論む大東亜共栄圏の構築に利用されたことは、許し難いことだったでしょう。


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                   『人ありて 頭山満と玄洋社』 (海鳥社・刊)


晩年は御殿場の山荘で静かに暮らした頭山翁は、終戦まで1年を切った1944(昭和19)年10月5日に89歳で大往生を遂げました。

「オレの一生は大風の吹いた後のようなもの・・・何も残らん」


と生前語っていた如く、持ち得た資産は他の政治家の支援などに悉く使い切り、遺産は殆ど残らなかったとか。


        

                 晩年の頭山夫妻


口先だけでなく、自ら行動を起こし信念の赴くままに行動し他人をも助けた、真に天晴れな思想家であったと言えましょう。


現在の日本は、戦後アメリカによる占領政策や教育により精神的な背骨を見事に抜かれてしまった感があります。

玄洋社の憲則に掲げられた三文を、日本人は今一度かみしめるべき・・・と私は思いますが、いかがでしょうか?

親交のあった中江兆民をして、


「大人長者の風あり、かつ今の世、古(いにしへ)の武士道を存して全(まった)き者は、独り君有るのみ」


と言わしめた〝国士〟・ 頭山翁のご冥福をお祈り致します。笑3


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