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硝 子

皆さんは、〝アール・ヌーボー(仏語=Art Nouveau )〟をご存じでしょうか?

これは〝新しい芸術〟という意味で、1900年前後にフランス・ベルギーなどのヨーロッパで広まった美術運動で、従来の様式に囚われない装飾性や鉄などの新素材を用いたことが特徴。

このトレンドの中で、それまで単なる工業製品だったガラスを陶器・家具などの美術品に引き上げたのが


 シャルル・マルタン・エミール・ガレ

       Charles Martin Émile Gallé


今日は、このフランスを代表するガラス工芸家・デザイナーの命日にあたります。

       


ガレはロレーヌ地方ナンシーで家具工場を経営する父親の息子として、1846年に生まれました。

地元の高等中学校を優秀な成績で卒業した彼は、1865~67年にかけてドイツのヴァイマールに留学し、その間マイゼンタールにあるブルグン・シュベーラー社でガラスの製造技術を習得。


1870年に普仏戦争に従軍後、父親と共にイギリスの美術館を見学した彼は、1877年にその父親に代わって工場責任者に。

翌年、独自に開発した月光色ガラスや陶器を出品して銅賞を、また庭園装飾の陶器で銀賞を獲得して、一躍注目を浴びた彼は、その後も新製品を続々と製造。

1884年には装飾美術中央連盟主催の『石木土そしてガラス』展で金賞を受賞。


   

そしてその翌年には水墨画を得意とする日本画家・高島北海(1850-1931)と交流を持ったことで日本に関する知識を得た彼は、水墨画のぼかしを取り入れた黒褐色のガラス〝悲しみの花瓶〟をも生み出しました。

    


様々な創意工夫と新しい技術の導入を重ねたガレは、1889年のバリ万博に大量の作品を出品して、ガラス部門でグランプリ、陶器部門で金メダル、そして家具部門で銀賞を受賞し、工芸家として世界的に名を知られるように。


更にマルケトリ技法やパチネ素材で特許を取得すると、1900年のパリ万博でも大量の作品を出品し、再びグランプリを獲得・・・その名声を不動のものとしました。

その翌年に〝エコール・ド・ナンシー(ナンシー派)〟の会長に就任した彼が、持病の白血病悪化により58歳でこの世を去ったのは、今から115年前の今日・1904年9月23日・・・日本では日露戦争真っ最中頃でした。

その後夫人らの手によってエミール・ガレ商会は存続されましたが、第一次世界大戦中は作業中断を余儀なくされ、更に世界大恐慌の煽りを受けて遂に工房は閉鎖・売却。

しかし彼の遺した膨大な作品は、世界中で今でも観賞することができます。

日本でも、彼の作品を100点以上展示している 『エミールガレ美術館』(栃木県那須郡) をはじめ、『北澤美術館』(長野県諏訪市)、『鳴門ガレの森美術館』(徳島県鳴門市)、『サントリー美術館』(東京都港区)、『北海道立近代美術館』(北海道札幌市)、『ポーラ美術館』(神奈川県足柄下郡)など、他にもいくつかの美術館で観賞するそうな。

毎日食器として使っているガラス製品を芸術として見つめ直すのも、よろしいかと・・・。笑2

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