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絵 巻

今日は、平安時代後期の仏教界で重責を果たした天台宗の高僧、

 
かく  ゆう

 覚 猷


の命日・没後880周年にあたります。


覚猷は1053(天喜元)年、藤原頼通の側近だった公卿・源隆国の第九子として生まれました。

若年時に出家し、現在の滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山・園城寺(おんじょうじ)で天台仏教を学びました。

その後四天王寺など大きな寺の別当を務め、1132年に僧正、2年後には大僧正に。

そして1138年には天台宗のトップ・四十七世天台座主となりましたが、なぜかたった3日で退任。

鳥羽上皇の住居・鳥羽離宮の証金剛院へ移り護持僧となり、これ以降は〝鳥羽僧正〟と呼ばれ、当時としては超長命の87歳で
1140(保延6)年9月15日に大往生を遂げました。

確かに高僧であったことは間違いないですが、多くの方にとっては馴染みのない人物・・・と思いきや、然に非ず。

彼の残した作品なら、皆さんご存知のはずですから。 

それは、この絵画。(↓)




そう、日本最古の漫画ともいわれる 『鳥獣人物戯画』

甲・乙・丙・丁の全4巻からなり、当時の世相を人やウサギ・猿・カエルなどの動物を戯画的に描いたもの。

覚猷は園城寺での修行中に密教図像の収集・管理を通して自らの画術の研鑽に勤めたとのこと。


また彼は生来から洒落っ気があったようで、亡くなる前に弟子から遺産分与に関する遺言を求められ、

「遺産の処分は、腕力で決めるべし。」

なんて、およそ僧侶とは思えぬ言葉を残したといわれています。

ただこれには、当時の強権政治に対する皮肉も込められていたそうですが・・・。

達者な筆使いとユーモア精神の合体が、この絵巻物の誕生につながったと言えましょう。


ただし、この作品が覚猷の筆によるもの・・・と裏付ける資料は残っていないそうで、更には筆致・画風が違うため12~13世紀にわたって複数の絵師によって描かれた風刺画と思われるそうな。

それでも国宝なのですから、大したもの。

と言いつつ、実は国宝に指定されている絵画約170点の内、作者が分かっているのは半数以下なんですけどネ。あせあせ


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