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教育人

特に私のような昭和世代では、この方が出版した参考書などに大変お世話になった人が多いはず。

今日は、大手出版社・旺文社の創業者にして〝豆単〟でお馴染みだった

 赤尾 好夫  

の命日にあたります。


        


赤尾氏は1807(明治40)年に現在の山梨県笛吹市に生まれました。

1831年に東京外国語学校(現・東京外大)イタリア語科を卒業すると、早くも同年10月に歐文社(現・旺文社)を設立。


余りに有名な〝赤尾の豆単〟を始め多数の参考書や〝蛍雪時代〟などの雑誌を発行し、同社を国内最大手の教育出版社へと育て上げました。

※因みに現在でも〝豆単〟は改訂・販売されています。


          

ただ申し訳ないことに、私自身大学受験の際は、〝豆単〟ではなく、試験に出る英単語、〝シケ単〟を利用してました。あせあせ

赤尾さん、すみません。


また中学生を対象として日本初の通信添削を開始。

更には文化放送や日本教育テレビ(現・テレビ朝日)創業にも尽力して役員も務め、そのメディア媒体に受験講座を開設するなど、我が国の教育界・放送分野に多大な貢献をされました。

その一方でスポーツ射撃では全日本選手権で3度優勝し、1954年の世界大会ではスキートとトラップの両部門で銀メダルを獲得するという、これぞ文武両道の見本と言える方でした。


今から34年前の今日・1985(昭和60)年9月11日に78歳で亡くなるまで、若者の教育に心血を注いだ赤尾氏が遺したメッセージをご紹介致します。

『人生に繰り返しはなく、青春はふたたび帰ってこない。

珠玉のごとき青春をいだいた諸君は、しんじつ自己を愛さなければならない。

自己を愛するとは、自己を向上させることである。


深い知識、広い教養、よい性格、たくましい体格等は、いつの時代、いかなる国においてもこよなき美徳であって、これなくして人間の向上はなく、国家社会の繁栄もない。


しかも、これら諸々の知識的道徳的美徳の涵養(かんよう)は、若い世代の諸君においてこそ達せられる。


この機会を逃せば永久に不可能になってしまう。


このことは、生きることと共に諸君に与えられた責務でもある。』


・・・60歳に手が届く私の胸にも、ズシッと重く響きます。

この激励文
を噛み締めつつ、日本有数の教育者のご冥福をあらためてお祈り致します。

※赤尾氏は保守系で戦後公職追放の経験もあり、労組と激しく対立したせいか名前についているのに〝赤〟が大嫌いだったそうな。
ちなみに同姓であっても右翼の大物・赤尾敏氏と血縁関係は全くないそうですから、念のため。


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