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初 代

映画・007シリーズのファンは多いと思いますが、そんな貴方にクイズです。

1962年に公開された記念すべき第一作、『ドクター・ノオ』のメガホンを取った監督は誰?

今日は、そのイギリス人監督


 テレンス・ヤング 

  Terence Young


の命日・没後25周年にあたります。


        


ヤング監督は1915年、父親が英国警察長官だった関係で上海の共同租界に生まれました。


その後帰国してイギリスで学び、ケンブリッジ大学在学時に大学新聞に批評を書いたり、ブリティッシュ・インターナショナル・ピクチャーズでアルバイトをしていた彼は、卒業後脚本家に。


1941年にメロドラマの脚本で注文されましたが、時は第二次世界大戦の真っ最中。

彼もヨーロッパ戦線に従軍し、戦争巨編映画 『遠すぎた橋』(A Bridge Too Far 1977年公開)で描かれてたマーケット・ガーデン作戦に参加。

そこで負傷した際、当時ハーンネムの病院で看護婦のボランティアをしていたオードリー・ヘプバーンに手当を受けたそうな。


そして終戦後ロンドンで脚本家・助監督を経て監督になった彼は、1953年に公開された3作目の作品 『赤いベレー』 で製作にあたったアルバート・R・ブロッコリに評価され、見事007シリーズ第一作のメガホンを取ることに。


       


この作品でロジャー・ムーアから推薦を受けてボンド役に抜擢されたのが、ご存じショーン・コネリー。

ヤング監督は、この無名の粗野な新人を高級レストランに連れて行ったり、自分の利用していたオーダーメイドのテイラーを紹介したりして、一流の礼儀作法や身だしなみを教育したとか。

まるでオードリー・ヘプバーンが主演した 『マイ・フェア・レディ』 の男性版みたいですネ。


       

そのおかげか、コネリーはこの作品で一気にスターダムにのし上がり、同作は100万ドルというシリーズ中最も低予算で製作されたにも関わらず、興行収入は6,000万ドル近く・・・同年の映画世界興行成績第1位を獲得。

続いてヤング監督がメガホンを取ったシリーズ第2作 『ロシアより愛をこめて』 は、前作の2倍・200万ドルの製作費で、興行収入は7,890万ドルと、これまた世界第1位を獲得。


その後第3作目は他の監督に譲ったものの、第4作 『サンダーボール作戦』 で再びメガホンを取ったヤング監督は、その後も三船敏郎、チャールズ・ブロンソン、アラン・ドロンの3大スター共演の 『レッド・サン』(1971年)、またブロンソンが主役を務めたマフィアの実録映画『バラキ』(1972年)を手がけました。

       

その後も『アマゾネス』(1973年)、『華麗なる相続人』(1979年)などの監督を務めた彼が心不全により79歳でこの世を去ったのは、1994年9月7日のことでした。


007シリーズが、その後ボンド俳優が何代も変わりつつも半世紀以上継続して人気を博した功績は、ヤング監督に負うところが大と言えますまいか。

今宵は個人的に大好きな 『ロシアより愛をこめて』 を久しぶりに鑑賞しつつ、ヤング監督の冥福を祈るつもりです。



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