FC2ブログ
日 果

2014年9月から半年間にわたってNHKで放映された朝のテレビ小説『マッサン』・・・視聴された方もいらっしゃるでしょう。

今日は、その主人公マッサンのモデルであり、〝ウィスキーの父〟と言われたニッカウヰスキーの創業者、


 竹鶴 政孝 


の命日・没後40周年ににあたります。


        


日清戦争が開戦した1894(明治27)年に現在の広島県竹原市で生まれた政孝氏は、生家が製塩・酒造業を営んでいたことから自然と酒に興味を持つように。


中学3年生の時に寮生活を送りましたが、その時に1年下の後輩で彼の布団の上げ下ろしをしていたのが、後の総理大臣・池田勇人氏だったとか。


家業を継ぐべく大坂高等工業高校(現・大阪大学)の醸造学科に進学したものの、日本酒より洋酒に惹かれた竹鶴氏は卒業する直前の1916年3月、当時の洋酒業界大手の摂津酒造に入社すると、希望通り洋酒製造部門に配属。


そして同年12月に徴兵検査を受けた際、彼の履歴書を見た検査官が 「アルコール製造は火薬製造に必要な技術だから」 とわざと乙種合格に格下げしてくれたおかげで戦地行きを免れました。


まさに、芸は身を助けてくれたわけですネ。


そして1918年に純国産ウィスキーの製造を目指す社長の勅命を受けて単身スコットランドに留学しグラスゴー大学で有機・応用化学を学ぶと同時に、ウィスキー醸造場を見学し釜の掃除を手伝いながら製造工程を習得。


現地の女性ジェシー・ロバータ・カウンさんと当時としては珍しい国際結婚をして帰国した彼は、第一次大戦後の不況の煽りを受けて摂津酒造のウィスキー醸造計画が頓挫したため、同社を退社。

    

仕方なく大阪で中学校の教鞭を取っていた彼を再び洋酒の世界に引き込んだのが、寿屋(現・サントリー)の鳥井信次郎社長でした。


国内でのウィスキー製造を計画した同社がスコットランドに技術者の有無を打診したところ、「日本に竹鶴という適任者がいるはずだ」 という返答があり、鳥井社長は1923年6月に年俸4千円・10年契約という破格の条件で竹鶴氏を迎え入れます。

翌年11月に竹鶴氏の指揮によって山崎工場が竣工、彼は初代工場長に就任。


1929年4月に彼が製造した最初のウィスキー〝サントリー白札〟がめでたく発売されましたが、当時の日本人にはあまり受け入れられなかったとか。

その後、工場長を任命され着任した横浜工場を会社が相談もなく突如売却したことで不信感を抱くようになった竹鶴氏は、ちょうど契約期間の10年を迎え若手技術者の育成にも目途が立ったことから、1934年3月に同社を退職。


同年7月に北海道余市町でウィスキー製造を開始すべく 『大日本果汁株式会社』 を設立しました。


     


でもウィスキーを製造する会社のはずなのに、なぜ〝果汁〟という社名にしたのか?


それはウィスキー製造・販売までには数年の月日がかかるため、それまでは余市特産のリンゴを絞ってリンゴジュースを造り、その販売利益で当面を凌ごうとしたからだとか。


実際、この地で製造したウィスキーを発売したのは1940年から。

その際に大日本果汁から日と果を取って〝ニッカウヰスキー〟と命名。


(※社名変更は1952年のことでしたが、なぜウイスキーではなくウヰスキーにしたのか?


それはウイスキーの命は水であることから、当初は井戸の井を取ってニッカウ井スキーで登記申請したのですが、当時は漢字とカタカナを混ぜた名前では登録できず。


仕方なく、発音が英語のウイスキーに近い〝〟のカタカナ〝ヰ〟にしたそうな。)


終戦後、多くのメーカーが物不足の中で低品質のウィスキーを売り出す中、「三流品は作らない」 と頑張り、出資者に説得されて低価格のウィスキーを仕方なく売った際も、アルコール度数をギリギリまで上げるなど、終始ウィスキーの品質に拘った竹鶴氏。


私も損保の営業マン時代、夜の宴席ではよくお客様から 「味はサントリーより、ニッカだネ。」 という言葉を聞きました。

もっとも味オンチの私は、ストレートで飲み比べてもよく分かりませんでしたが。ダメだぁ顔


本物を追求し続け、1969年には勲三等瑞宝章を受章した竹鶴氏が85歳で天に召されたのは、1979(昭和54)年8月29日のこと。


70歳を過ぎても毎日ハイニッカを1本開け、体を気遣った晩年でも3日で2本は飲んだという酒豪でもあった竹鶴氏が、日本のウィスキー業界に大きな足跡を残したことは間違いないでしょう。


更には1941年に余市中学にスキーのジャンプ台を寄贈し、ここで練習を積み後に同社に入社して札幌五輪で金メダルを獲得したのが笠谷幸生選手でしたから、我が国への貢献は計り知れません。


ただ残念なのは製品に対する拘りが強かった反面、営業戦略が後手に回ったために売上は大きくサントリー社に水を開けられたこと。


2001年にニッカ社の全株式をアサヒビール社が買収し、現在は完全子会社としてアサヒホールディングに属す形になっていることを、竹鶴氏は草葉の陰からどんな思いで見ているでしょう?

まさか、ヤケ酒を飲んでいるとは思いませんが・・・。
あせあせ

今晩の晩酌は竹鶴氏の冥福を祈りつつ、敬意を表してニッカウイスキーで献杯を!

もちろん氏の名前がついた、こちらのウヰスキーで!

    


                人気ブログランキング

スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック