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脱 線

今からちょうど70年前の今日・1949(昭和24)年8月17日・・・『下山事件』・『三鷹事件』と並び〝国鉄三大ミステリー事件〟のひとつといわれる

 松川事件

が起きました。


※『下山事件』・『三鷹事件』に関する過去記事は、こちら。(↓)



当該事件が起きたのは、1949(昭和24)年8月17日午前3時過ぎの深夜、場所は現在の福島県松川町金沢の東北本線・松川駅-金谷川駅間。(※東北新幹線高架下すぐそば)


   


この路線を走行していた、蒸気機関車C51が牽引する青森発上野行き上り旅客列車が突然脱線したのです。

先頭の蒸気機関車が転覆し、後続の荷物車2両・郵便車1両・客車2両も脱線し、機関車の乗務員3名が死亡。


    

現場検証の結果、転覆地点付近の線路継目部分のポルト・ナットが緩められて継目板が外されており、レールを枕木に固定する犬釘も多数抜かれていることが確認されました。

更に長さ25mのレール1本が外され13m動かされていたことも。

これじゃあ脱線するのは不可避・・・当該事件は、前述2事件に続く国鉄事故として注目され、世間・警察共にそれらとの関連性を疑いました。

そして当局は当時の国鉄大量人員整理に反対する東芝松川工場と国労組合員の共同謀議による犯行とみて捜査を進め、事件から24日後の9月10日に元国鉄線路工の少年を傷害の別件で逮捕し取り調べ。

少年が9日後に犯行を自供し、その供述に基づいて共犯者を続々と逮捕。 合計20名が逮捕・起訴されました。

翌年12月に福島地裁が出した判決では、死刑5名を含む全員有罪。


そして1953年12月に仙台高裁が出した二審判決では、死刑4名を含む有罪17名、無罪3名。

しかし最高裁に上告されると、それまで検察側が被疑者の無罪を証明するアリバイを秘匿していたことが明るみに出たり、証拠として検察が提出したスパナでは線路のボルトが緩められないことが判明。

1959年8月に最高裁が出した判決は、高裁差戻し。
1961年8月の差し戻し審で、全員無罪。


そして1963年9月に最高裁は検察の再上告を棄却し、被告全員の無罪が確定しました。

無罪確定後、真犯人追及の捜査が継続された形跡はなく、1964年8月17日に公訴時効が確定し、当該事件は〝お宮入り〟に。

また犯人の目撃証言が複数ありながらも、警察側が真犯人を逃すかのような不審な動きをした形跡があり、1958年には真犯人を名乗る者から手紙が被告側弁護団に届いたことも。

この文面には、目撃証言の犯行グループ9名と符合する部分があり、弁護団は信憑性が非常に高いと判断。

また犯行グルーブがレールを外しているところを目撃したSさんは、路線の修理か検査だと思って帰宅したところ、グループの一人が追いかけてきて、「口外すればアメリカの裁判にかける」と脅されたそうな。

そして事件の5日後、GHQの出先機関であるCICの福島事務所に出頭するよう見知らぬ男に告げられたもものの、身の危険を感じたSさんは弟のいる横浜に逃亡。

しかし2ヶ月後の1950年1月に行方不明となり、40日後水死体で発見され、知られを受けた弟が警察に駆け付けたところ、既に遺体は火葬済みだったとか。

やはり犯行は、GHQが裏で糸を引いていたのか? 

その辺について知りたい方は、真犯人を名乗る者からの手紙を受け取った弁護士ご本人が書いた、この書籍のご一読ください。


『謀 略 再び歴史の舞台に登場する松川事件 


(松本善明・著 新日本出版社・刊)


       


冒頭ご紹介した下山事件・三鷹事件など、他の謀略事件についても同著で言及しています・・・が、著者の松本氏は共産党員ですので、その点は考慮してお読みください。


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