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激 闘

今年も熱戦が繰り広げられている夏の甲子園。


今まで様々な名勝負やドラマを生み出してきた高校野球ですが、私は個人的に今日・8月16日は〝甲子園・名勝負の特異日〟と位置付けています。


まず今から46年前の1973(昭和48)年8月16日には、怪物・江川卓投手率いる作新学院が銚子商業と2回戦で激突。


雨中の決戦となったこの試合は、延長12回裏にフルカウントから投じた江川投手のストレートが高めに外れ、押し出しサヨナラ。

(※銚子商業はこの大会で全国制覇を達成。)


また27年前の1992(平成4)年8月16日には、今年国民栄誉賞を授与された金沢星稜のスラッガー・松井秀喜選手が、やはり2回戦・明徳義塾との対戦で、前代未聞の5打席連続敬遠。


その是非を巡って日本中が大騒ぎになりました。

※この試合に関する過去記事は、こちら。(↓)



そして本日取り上げるのは、今からちょうど40年前の今日・1979(昭和54)年8月16日に行われた


 箕島 vs 金沢星稜 延長18回の激闘


俗に〝高校野球史上最高の試合〟あるいは〝神様が創った試合〟といわれる名勝負でした。


第61回大会の3回戦で激突した名門同士の対決。


特に箕島は春の選抜を制していて、この大会で優勝すれば史上初の公立高校による春夏連覇という快挙がかかっており、どうしても負けられない一戦。


箕島・石井、星陵・堅田両エースの投げ合いで試合は進み、4回に先攻の星陵が1点取ればすぐさまそのウラに簑島が取り返し、そのまま延長へ。


そして12回表に星陵が1点を取ると、そのウラにキャッチャーの嶋田が監督に 「ホームラン狙っていいですか」 と予告(?)して、見事同点本塁打。


そして16回表に星陵がまた1点取ったそのウラにドラマが待っていました。


さすがの箕島も簡単に2アウトを取られ、次のバッター・森川選手は一塁後方にファールフライ。

誰もが万事休すかと思われたその打球をファースト・加藤選手が捕球直前、人工芝の切れ目に足を取られて転倒。


九死に一生を得た森川選手は、何とその直後に左中間に起死回生の同点ホームラン。


試合を振り出しに戻した箕島は、最終回となる18回裏に1死1・2塁から上野選手のタイムリーヒットで辻内選手がヘッドスライディングでサヨナラのホームイン! (


       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


試合時間3時間50分に及ぶ大熱戦は、ここに幕を閉じたのです。


取られたら取り返す・・・こんなスコアボード、見たことがありません。


 星 稜 000 100 000 001 000 100  3
 箕 島 000 100 000 001 000 101x 4


※お時間のある方は、こちらで試合の模様をご覧ください。


この死闘を制した箕島は、見事深紅の大優勝旗を手中に収め、春・夏連覇を達成しましたが・・・この試合後も両チームの選手たちは交流を続け、何度か集まって再試合を楽しんでいるとか。

試合後、箕島・尾藤監督は転倒した対戦相手の加藤選手を気遣い、たびたび手紙やみかんを送ったそうで、その加藤さん自身も自動車ディーラーに勤務していた時は、


「あのファウルフライを落球したのが私です」


 という決め台詞(?)で最優秀セールスマンになったこともあったとか。


甲子園に出場した選手たちは、時としてその甲子園に人生を変えられることもあるようですが・・・更に、こんな奇縁も生むようです。


この試合で主審を務めた永野元玄(もとはる)さんは、元土佐高校のキャッチャーとして1953年に甲子園に出場し、松山商業との決勝戦でファウルチップを落球した直後に同点ホームランを浴び、結局優勝を逃すという苦い経験の持ち主でした。


その後甲子園大会のたびに勤務先から休暇をもらって審判を務め続けていた永野さんが、加藤選手の落球を目の前で見ることになろうとは。


そして試合後、18回を投げ切りながら敗れ肩を落とす星陵・堅田外司昭投手に、試合球を1個手渡したのだそうな。

それを帽子を取り黙って受け取った堅田投手は、その後社会人野球を経て、現在は永野さん同様に毎年甲子園の審判員を務めているとのこと。笑3

       


〝激闘特異日〟の今日、果たして後世に語り継がれるような名試合が行われるや、否や?


嗚呼、甲子園はドラマだ!野球ボール


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