FC2ブログ
慈 善

アメリカが生んだ大実業家は数あれど、この方ほど悪評の少ない方はいないかも。

今日は〝鉄鋼王〟といわれた、その


アンドリュー・カーネギー

Andrew Carnegie


の命日・没後100周年にあたります。

       

カーネギーは1835年、手織り職人の長男としてスコットランドで生まれました。


蒸気機関の発達により職がなくなったカーネギー一家は新天地に希望を託し、1848年アメリカに移住。

アンドリューは12歳の時には学校に行かず、紡績工場で働いていたそうです。


その後電報配達の仕事に変わり、モールス信号技術の優秀さを買われ電信技士に昇格すると、引き抜かれてペンシルバニア鉄道に入社しました。


そこで寝台車のアイデアを考えたカーネギーは、その会社に出資して大成功。


1861年に南北戦争が始まると、北軍のスコットを支援。


終戦後は鉄道会社を退職し事業家に転進、鉄橋の需要を見越してキーストン鉄橋会社を設立。


更に耐久性に優れた鋼鉄の需要に目をつけ、製鉄事業の規模拡大を拡げ〝鉄鋼王〟と呼ばれるまでになりました。


1901年に鉄鋼会社を4億8,000万ドルでモルガンに売却、大金を手に第一線を退きます。


彼の偉大なところは、その後莫大な資産を殆ど慈善事業に捧げたことにあります。 自著の中で、


「裕福な人はその富を浪費するよりも、社会がより豊かになるために使うべきだ」


と語っている通り、1902年には1億ドルを投じて 『カーネギー財団』 を設立し、有名なカーネギー・ホール等を建設・寄贈し続けました。

       


1919年8月11日に83歳でなくなった時には、彼の遺産は一般庶民と変わらぬ金額だったのだそうです。


事業家としての〝カーネギー成功の真髄〟として、


 


“自分より賢い人々を、自らの周囲に集める術を知っていた一人の人間が、ここに眠る”


と墓碑に刻まれているのは有名ですが、ここでもうひとつ彼の逸話を・・・。


彼が子供の頃、母親と一緒に果物屋に買い物に行った時のこと。


並べてあるサクランボに見入るカーネギー少年に気づいた店主が 「サクランボを一掴み分サービスしてあげよう」 と声をかけた。


ところが彼は手を出そうとしない。


店主が 「サクランボは嫌いなの?」 と尋ねると彼は 「嫌いじゃない。」 と答えた。


店主は仕方なくサクランボを自ら一掴みして彼の帽子に入れてやった。


帰宅後、不思議に思った母親が 「どうしてサクランボを手に取らなかったの?」 と聞くと、彼はこう答えたという・・・。


「だって、ボクの手よりおじさんのほうが手が大きいんだもの。」


〝栴檀は双葉より芳し〟・・・さすがです。

                人気ブログランキング 

スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック