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妖 怪

今日・8月7日は、安倍総理の祖父にして生前は〝昭和の妖怪〟と異名を取った大物政治家、

  岸 信介  第56・57代内閣総理大臣

の命日・三十三回忌にあたります。


  


岸氏は1896(明治29)年、山口県庁の官吏を務めていた佐藤秀助の第5子(次男)として現在の山口県山口市で生まれました。

※三男の弟・栄作氏は、第61~63代内閣総理大臣。


中学3年生の時、婿養子だった父の実家・岸家の養子となった彼は、遊び好きな少年ながらその秀才ぶりは早くから評判だったとか。


1917年に東京帝国大学法学部に入学し、卒業後はなぜか二流官庁といわれた農商務省に入省。


そして1925年に同省が分割されると彼は商工省に配属され、1936年に満州国国務院・実業部総務司長に就任して、満州へ。

同地では、当時関東軍参謀長だった東条英機や日産コンツェルンの総帥・鮎川義介せ軍・財・官界に多様な人脈を築き、満州の大物〝弐キ参スケ〟の一人に数えられました。

帰国後商工次官に就任するも商工大臣となった小林一三と対立、『企画院事件』の責任を取って辞任。

しかし1941年10月に発足した東條内閣に商工大臣として入閣すると、太平洋戦争最中の1942年に衆院選に出馬し当選、政界入りを果たします。


終戦後はA級戦犯容疑者として収監されるも、後に釈放され再び政界で活躍。

そして1957年2月に内閣総理大臣に就任すると、左翼勢力による猛烈な反対運動を凌いで日米安保条約の改定を実現、それを置き土産として1960年7月に総理の座を降りました。

引退後も隠然と政界に影響を及ぼし、児玉誉士夫氏や闇の勢力との関係も取り沙汰された、まさに清濁併せ呑む超大物政治家だった言えましょう。


私自身は、1987(昭和62)年8月7日に90歳で大往生を遂げた岸氏の肉声に殆ど触れておりませんが、その大物ぶりを示すエピソードを2つばかりご紹介しますと・・・。


1960年、日本中が安保闘争の渦中にあった時、当時5歳だった安倍晋三お坊ちゃまが、屋敷の周囲を取り巻くデモ隊のマネをして、


「アンポ、ハンタイ!」


と口にしながら家の中を走り回ったそうな。

慌てた父・安倍晋太郎氏から 「アンポ、サンセイと言いなさい!」 と叱られたのだそうですが、信介氏は


「いいから、いいから。」


とニコニコ笑いながら悠然と晋三坊ちゃんの遊ぶ姿を眺めていたとか・・・。


    

      左から3人目が岸氏、その右隣が信三氏、右端が晋太郎氏


また、田中角栄氏の秘書・早坂茂三氏が密命をおびて御殿場にある岸氏の邸宅を訪ねた時、用向きが終わって 「一緒に昼飯を食おう」 と出されたのが、8つほどクルクルと巻かれた素麺に、大ぶりのローストビーフ2枚、野菜サラダ、メロンにコーヒー。 


これを87歳(!)の岸氏はウマそうに、残さずペロリと食べたそうです。


総理大臣辞任直後に暴漢に刺され重傷を負ったのに、この健啖ぶり・・・さすがは〝昭和の妖怪〟と言われただけのことはあります。

そんな岸氏について詳しく知りたい方には、こちらのご一読をお勧めします。


 『絢爛たる悪運 岸伸介伝』

                   (幻冬舎・刊 工藤美代子・著)


        


その半生の運の良さを尋ねられた際、「悪運は強い程良い」 と一笑に伏した彼の生涯に触れてみてください。


この本を読み岸氏の政治姿勢・信条を顧みる時、混迷を極め先の見えない我が日本の舵取りは、品行方正・清廉潔白な線の細い優等生よりも、岸氏のような図太い豪傑でなければ勤まらない・・・そう思えてなりません。


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