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金 言

皆さんには、〝心に残る一言〟〝人生を変えた一言〟って、ありますか?

鎌倉円覚寺の管長を務める横田南嶺師には、ちょうど10年前の今日・2009年7月29日に101歳で大往生を遂げられた


 松原 泰道 

からいただいた言葉が、禅道に入るキッカケになったそうな。


      松原泰道師

僧侶である父の許に生まれ、早稲田大学卒業後仏道に入った松原先生は、ある時先師から 「お前は世に広く仏教を広める仕事をしなさい。」 と言われたとか。


その言葉通り、1972年に大ベストセラーとなった 『般若心経入門』 をはじめ多数の著書を世に残され、また講演会やラジオ番組などを通して仏教の普及活動を積極的に続けられた、まさに仏教界のスポークスマン的存在でした。

横田管長は中学生の時にその松原先生が毎月ラジオで行っていた『法句経』 の講義を熱心に聴いており、その放送が終わった直後にたまたま上京する機会があったので、「是非お目にかかりたい」 と直接手紙を出したのだそうな。

当時の松原先生は講演や執筆で多忙を極めていたそうですが、一面識もない中学生からの手紙に返事を出したばかりか面会の約束もしてくれました。  そして初めて会った横田少年に書き記したのが、

〝花が咲いている 精一杯咲いている 


                  私たちも 精いっぱい生きよう〟

という言葉だったそうな。 横田管長は、こう仰っています。

「これは今日に至る私の人生を貫いてきた言葉でもあり、将来もしあなたの一生とはどういうものだったのかを問われ、『中学生の時に泰道先生にお目にかかり、花のように精いっぱい生きよと言われ、その言葉通り精いっぱい生きて死んだ』 と答えられるとしたら、私にとって本望だと思っています。」

まさに横田管長にとって、松原先生の言葉は〝金言〟だったと言えましょう。

実は私にも、松原先生との忘れられない思い出があります。


以前から松原先生の著書は何冊も読んでいましたが、私にとっては雲の上の存在。

     


しかし師が亡くなる3年前、世田谷区にある 『龍雲寺』 という立派なお寺で葬儀のお手伝いをした時、そこで春・秋に月に一度松原先生の法話会が開催されていることを知りました。


逸る気持ちを抑えつつ開催日に訪れてみると、本堂は100人以上の聴講者で熱気ムンムン。


ご年配の方に混じって若い方も何人かいらっしゃいました。


松原先生は、思いの他小さな体をチョコンと車椅子に乗せ、にこやかなお顔で定刻に会場入り。


しかし約1時間半にわたった松原先生のお話は、とても98歳とは思えぬ活舌ぶり。


ユーモアと最新時事を織り交ぜた大変に温かい内容でした。


最近はお布施に関していろいろ言われるご時勢ですが、率直に言って先生が私の葬儀で読経していただけるなら、100万円お納めしても決して高くない・・・そんな気持ちになったものです。


その後何回も法話会に足を運び、法華経の講義などを聴かせていただきましたが、100歳を前に体調を考慮されてこの法話会は中止に・・・。


しかしその後も先生の著書を読むたびに、私の心にはナマで見た松原先生の笑顔と声が常にありました。


今、私の手元には宝物がひとつあります。


それは法話会の後、退席する先生を追いかけていって当時読んでいた松原先生の全集本の一冊にいただいたサイン。       


「ありがたいご法話、ありがとうございます。 


つきましては、是非先生の著書に一筆いただけますでしょうか?」


と図々しくお願いすると、先生はニッコリと微笑まれながら迷いなくサラサラ~ッと一首したためられました。

 仏とは さくらの花に(の) 月夜かな


                 九十八才  泰 道

       


「この意味はね・・・」


と仰りかけたところで、次々と私と同類のミーハー族 あせあせ が先生の車椅子を取り囲み、それ以上の 〝個人講義〟 を受けられなかったことが、今となっては心残りなのですが。


松原先生が江戸時代の俳諧師・宝井其角作であるこの一首を私に授けてくださった真意は、果たして何だったのか?

今となっては、先生からいただいた永遠に解き明かされない〝公案〟 となってしまいましたが、この意味を追い求めることが私に課された〝金言〟なのです。


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