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布 教

現在の日本では宗教の自由が保証され、様々な宗旨・宗派の信者・信徒がいらっしゃいますが、その中で仏教・神道に次いで信者が多いキリスト教を日本に初めて伝えたのが


 フランシスコ・デ・ザビエル

     Francisco de Xavier


であることは、皆さんもご存じのとおり。


その彼が日本に上陸を果たしたのは、今からちょうど470年前の昨日・1549(天文18)年7月22日のことでした。


          


1506年、スペインで5人兄弟の末っ子として生まれたザビエルは貴族の家系にありましたが、青年時代をスペイン併合など激動の政情の中で過ごしました。


19歳の時にパリ大学に留学し哲学を学んだ彼は、学友・イグナチオの影響を受け聖職者の道へ。


1534年8月に彼らを含めた7人の若者がモンマルトル聖堂に集まって生涯を神に捧げる清貧・貞潔・聖地巡礼の誓いを立てました。


これが、いわゆる〝イエズス会〟の発足となります。


世界布教を目指す同会の趣旨に沿って、ザビエルは3名のイエズス会員と共にインド・ゴアに向けリスボンを出発。


1547年に無事ゴアに到着した一行は、そこを拠点にしてインド各地やマラッカなどで布教活動を行った後、1549年4月に日本へ。


そして同年7月22日、彼らは鹿児島に上陸。 


時にザビエル43歳の時でした。           


薩摩の守護大名・島津貴久から許しを得て布教活動に入ったザビエルは、その後も各地で布教活動を行いつつ、堺の豪商・日比屋了珪の支援により、1551年1月に念願の京都入りを果たします。


しかし残念ながら後奈良天皇や将軍・足利義輝への謁見は叶わず、日本全国への布教の許しは得られませんでした。 


その後山口・大分などで布教活動を行い、同年11月に数人の日本人を連れて出国 (内1人は後にヨーロッパに入った最初の日本人となります) し、ゴアに戻ります。 


そして日本全国布教のためには不可欠との思いで中国への布教を決意し同国・上川島に入ったものの病に倒れ、46歳の若さで天に召されました。

※ザビエルの遺体は現在ゴアのボム・ジーザス教会で保存されており、10年に1度公開されるたびに500万人以上の信者が訪れているとか。(↓は2014年公開時の写真)


    


ところで、ザビエルは日本での布教活動を何語で行ったのか?


いくら聡明な彼でもいきなり日本語が話せたわけではなく、マラッカで出会い洗礼を受けた鹿児島出身の日本人・ヤジロウが同行通訳を務めたとのこと。


とは言え、彼はプロの通訳ではなくキリスト教の知識も浅かったため、キリストを〝大日〟と誤訳してしまい、キリスト教を仏教の分派と勘違いした僧侶が彼ら一行を歓待した・・・という、真言宗関係者が目を剥くような珍プレーもあったとか。あせあせ   


しかしザビエルは 「今まで出会った異教徒の中で、最も優れた民族」 と日本人を高く評価していたといいます。


ただその一方で、宣教師の来日は日本人女性の奴隷貿易の先兵だったという指摘があり、ヨーロッパに50万人も連れ去られたという話があります。

秀吉がキリシタン禁止令を発したのは、それを知って激怒したからだとか。

ザビエルが奴隷貿易に加担していたかどうかは分かりませんが、彼の死後1622年に列聖されたのは、もしかしたらその先陣を切った功績を評価されたからなのかも?
うー


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