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陰 謀

戦後まもなくの頃、国鉄では事件・事故が続発しましたが・・・今からちょうど70年前の今日起きたのが下山事件・松川事件と並び後に〝国鉄三大ミステリー事件〟のひとつに数えられることとなる

 三鷹事件

でした。


※下山事件に関する過去記事は、こちら。(↓)



1949(昭和24)年7月15日午後9時過ぎ、国鉄三鷹車庫(現・JR東日本三鷹車両センター)から7両編成の63系電車が無人のまま暴走。

三鷹駅の1番線に時速約60kmで進入し、脱線・転覆。


車両は線路脇の商店街に突っ込み、男性6名が死亡、20名の負傷者を出す大惨事となりました。


     


その当時、国鉄では職員の大量人員整理問題で労使の対立が激しかったため、捜査当局は事故を起こして革命を計画したとして国鉄労働組合(国労)組合員の日本共産党員10名と、非共産党員で元運転士だったT・Kを逮捕。

アリバイか成立した1人を除く10名と、偽証罪によって別に2名を起訴しました。


しかし東京地裁は、1950年にTKの単独犯行として往来危険電車転覆致死罪により無期懲役を言い渡し、他の被告には無罪判決。

※地裁は死刑判決でなかったことについて、国鉄を解雇されたことに対する反発、計画性がなかった、人命を奪うという結果を想定していなかったことを情状酌量の理由としました。

この判決を不服して、検察は被告人全員の有罪を求めて上告・起訴しましたが、東京高裁はTK以外を無罪とした反面、T・Kには求刑通りの死刑を言い渡しました。

弁護側は死刑撤回を求めて最高裁に上告したものの、最高裁は1955年6月に死刑が確定。

その後TKは雑誌に陰謀説を訴える投稿などをして無実を訴えたものの、1967(昭和42)年に脳腫瘍により45歳でこの世を去りました。

       


この裁判経過には、不審な点がいくつかあります。

まずT・Kの弁護士が、被告にとって有利となるアリバイ証言をなぜか証拠として採用しなかったり、T・Kに対し自白を勧めるかのような発言をしていたこと。

そのせいか、T・Kの証言も無罪・単独犯・共犯者有り等々7回も変わるというふらつきぶり。

一方の裁判所も、証拠や供述内容にいくつかの矛盾点がありながらも高裁は公判を開かず書類審査だけで死刑判決を出し、最高裁も口頭弁論すら行わず仕舞い。

まるでT・K被告をスケープゴートにして幕引きを急がんばかり。

そして彼が獄中で脳腫瘍になった際も、ろくな治療が施されず、実質的には〝成り行き死刑〟を執行されたようなものだったとか。

しかし共産党員は無罪放免となったものの、この事件を端緒として国鉄に対する抵抗運動は下火になり、人員整理は進められました。

この事件前、警察内部では「7月15日に三鷹駅で事件が起きる」という噂が囁かれており、転覆によって大破した三鷹駅前の交番にはその時警官は一人もおらず、更に住民台帳も予め持ち出されていたとか。


警察がもし事前に犯行を知っていたのなら、黒幕は一体誰なのか?


    

                          事故現場付近

国労の抵抗を削ぎたい国鉄側と、身内から犯人を出したくない共産党それぞれの思惑が一致する落としどころが、非共産党員だったT・Kを犯人にすることだった・・・そう考えれば辻褄が合うと私は思うのですが、皆さんは如何お考えでしょうか?


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