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ゼ ロ

今日は、私が子供の頃夢中になってプラモデルを組み立てた、太平洋戦争時における大日本帝国海軍の〝空の花形〟として活躍した零式艦上戦闘機・・・いわゆる、


 ゼロ戦の日


 なのだそうです。


海軍から委託を受けた三菱重工業が堀越二郎氏を中心として設計に携り、今からちょうど80年前の今日・1939(昭和14)年7月6日に試作機の試験飛行が行われたことに因んだ記念日だとか。


正式採用された1940年が皇紀2600年にあたることから、下2桁を取って〝零式戦闘機〟と呼ばれた同機種は、海軍からの高望みともいえる多大な要求を限りなく盛り込んで設計されました。


最高時速533km/h ・ 航続距離3,350km ・ 20mm機銃2挺を擁した当時世界最高水準の戦闘機であり、通算1万機以上も製造された帝国海軍最後のエース機でした。


     


ゼロ戦は日中戦争中盤から太平洋戦争初期にかけて、その優れた戦闘能力と熟練したパイロット達の高度な操縦技術により悉く空中戦で勝利し、アメリカ軍から


「ゼロファイターとはドッグファイトをするな!」


と恐れられたとか。


しかし太平洋戦争開戦から半年後、無人島に不時着した殆ど無傷のゼロ戦を入手したアメリカ軍が機体を徹底的に解析。


その結果、軽量化による防御性能の欠如や高速飛行時の低運動性、また降下中の加速が遅い等の弱点を発見されてしまい、以後燃料タンクや操縦席を集中的に狙い撃ちされるように。


同時にアメリカ軍は対抗する新型機を大量に導入。 


これに反して改良が遅れたゼロ戦の戦績は落ちる一方・・・キルレシオ (撃墜対被撃墜比率) は、太平洋戦争初期で圧倒的優勢でしたが、中期以降では完全に数値が逆転。


哀しいかな、戦争末期にはエース機だったはずのゼロ戦が特攻隊の主力機となってしまいました。


太平洋戦争の戦況とほぼ同じ運命を辿ったゼロ戦・・・現在、実際に飛行できるゼロ戦は、僅か3機のみだそうな。

2年前には、そのうちの1機が東京湾の上空にその雄姿を現しました。

    

※映像を、こちらでご覧いただけます。  



また東京では、上野の国立科学博物館や靖国神社内の遊就館で復元された実物を見ることができます。


    


お近くに行かれた方、また靖国神社に参拝された折には是非ご覧いただき、かつてエース機を操縦してお国のために戦った英霊達に思いを馳せて下さい。笑3


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