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女 王

・・・と言っても、ウチの奥様のことではありません。

今日は、昭和時代の芸能界に君臨した〝女王〟


 美空 ひばり さん


の命日・没後30周年にあたります。


       


1937(昭和12)年、横浜で魚屋の長女として生まれたひばり(本名:加藤和枝)さんは、歌好きな両親が所蔵していたレコードを小さな時から聴いて育ちました。


1943年、父・増吉氏に召集令状が届き、出征前の送別会で彼女が歌った 『九段の母』 が出席者を泣かせるほどの感銘を与えたことで母親がその才能に確信を持ち、以来歌手活動を始めたそうです。


終戦の翌年・1946年にNHK素人のど自慢に出場するも、「上手いが子供らしくない」 驚き顔 という、今では考えられないような理由でカネを鳴らしてもらえなかったひばりさんでしたが、母子はこれにメゲず活動を継続。

古賀政男先生の前で歌い、その歌唱力を絶賛されるなどしました。


全国を巡業する中、横浜国際劇場と準専属契約を結ぶことに成功。


「美空ひばり」の芸名を演出家・岡田恵吉につけてもらった後は映画出演・レコード発売と、順調にスター街道を進み始めます。


1954年、17歳でNHK紅白歌合戦に初出場、翌年には江利千チエミ・雪村いづみと共に〝三人娘〟として人気を博し、1957年の紅白ではトリを務めるなど、スターの地位を不動のものとしました。

        


しかしその後、地方巡業時代からの山口組・田岡組長との関係を取り沙汰されNHKの番組出場を辞退。 


紅白歌合戦には、1973年以降出場することはありませんでした。


また小林旭さんとの結婚生活も周囲との軋轢などが原因で僅か2年で破局(※実際には未入籍)するなど、決して順風満帆の人生とはいえなかったようです。


母や弟を愛しながら、一方で恋を成就できなかった〝御嬢〟の苦悩は、私たちには想像できない程深いものだったのでしょうか・・・1987年に公演先で倒れ緊急入院。


半年後に復帰し、翌1988年に東京ドームで 「不死鳥コンサート」 を開催するまでに。

        

しかし、病魔を完全に克服するまでには至らず・・・1989(平成元)年6月24日、
特発性間質性肺炎の症状悪化による呼吸不全の併発により、52歳の若さでこの世を去りました。


死後30年経った今も、多くの歌謡ファンの心を捉えて離さない御嬢の歌声。


青山葬儀所で執り行われた彼女の葬儀に参列した約42,000人の会葬者が大合唱したという、名曲 『川の流れのように』 を聴きつつ、あらためて〝永遠の歌姫〟のご冥福をお祈りしたいと思います。


 


御嬢がこの世に残した生前最後の映像と歌声・・・心に沁みます。


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