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危機管理 <上>

月日の経つのは早いものです。

1995年1月17日午前5時46分、神戸・淡路島一帯を最大深度7という強烈な揺れが襲い、6,400名以上の尊い命が失われた阪神淡路大震災から、早や20年が経過しました。

あらためて犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、東日本大震災の影に隠れ風化しつつあるこの大震災の被害が、実は天災だけでなく多分に人災であったことを、私たちは自戒と共に思い起こすべきでしょう。

その時、政府は何をしていたのか? 
また現場では何が起きていたのか?

リーダー2人の対照的な動きを、以前月刊 『致知』 に掲載された佐々淳行・渡部昇一両氏の対談から抜粋・編集にて以下にご紹介させていただきます。


          ◆     ◆     ◆     ◆

阪神淡路大震災の時、村山首相も五十嵐官房長官も、そして地元出身の土井たか子氏も、社会党の面々はガバナンスという点で全くダメだった。

自衛隊は憲法違反だから災害の救援に来るな、という話なのだから。


1年前にロサンゼルスが地震に見舞われた際に救援してくれたお礼に・・・とアメリカ最大のボランティア組織から連絡が入った際も、アメリカから救援を受けたくないという官邸の意向で、この申し入れを断ってしまう。

幸い亀井運輸大臣が独自の判断で関西空港を開けてジャンボ機一杯に積み込んだ救援物資と医師団が降り立つことが出来、かつ巡視船4隻・ヘリコプター3機も借りることもできた。

一方、村山首相の動きはどうだったのか?


        

そもそも村山首相が初めて地震発生を知ったのはNHKのニュースだったとも言われている。

その彼に政府筋から大震災の一報が入ったのは、地震発生から1時間14分も後のこと。

そして午前10時からの閣議の後、21世紀地球環境懇話会という会合に出席している。

神戸でどんどん人が焼け死んでいる時に、オゾン層を破壊するフロンガスの規制について話し合っていたのだ。

神戸のことは「凄い地震だったらしいね。」という程度で話題にもならなかったとか。

出席者の1人から、「総理、神戸が大変なのにこんなことをしていてもいいのですか?」 と聞かれても、「大丈夫ですから、どうぞ。」 と言って予定時間を15分もオーバー。

その間、自衛隊の車両やヘリはエンジンを回し、今か今かと指示を待っていた。

天災が途中から人災に変わったのだ。

【因みに、この日ダイエーの中内社長はテレビで地震発生を知るや午前6時20分に出社。 午前8時には社内で地震対策会議を開き、販売統括部長にヘリにおにぎり・弁当など1,000人分の食糧と簡易衛星通信装置を積んで神戸に飛ぶよう指示を出している。

またセブンイレブンも災害対策本部を立ち上げ、午前8時30分には被災地の各店舗におにぎりをヘリで空輸を開始。

村山首相が 「万全の対策を講ずる」 と型通りのコメント(のみ)発表したのは、午前8時45分だった。】



               ・・・・・To be continued




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