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室 内

大相撲の〝聖地〟といえば、両国国技館。

現在使用されている両国国技館は2代目(国技館としては後述する蔵前国技館を挟んで3代目)ですが、


 初代・両国国技館

が完成し開館式が執り行われたのが、今からちょうど110年前の今日・1909(明治42)年6月2日のことでした。

それまでの大相撲興行は、1768年から現在の両国国技館のすぐそばにあり、鼠小僧治郎吉の墓や振袖火事で焼死した10万8千人の万人塚があることで有名な、回向院の境内で行われていました。


   
           回向院・正門                  記念碑


※鼠小僧次郎吉に関する過去記事は、こちら。(↓)



そして明治20年代に入ってから、天候に左右されず安定して興行できるように相撲常設館の建設を求める声が出始め、明治30年代に建設計画が本格化。

そして日銀本店や東京駅の設計で知られる辰野金吾と彼の弟子・葛西萬司の設計により、回向院の敷地内に建設が決定。


  
            矢印地点が、初代国技館の建設地



回向院での興行入場者数・3,000人の3倍を超える13,000人を収容する、法隆寺金堂の屋根をモチーフにした洋風の国技館が完成したのが、1909年5月末のこと。


    

当時は、まだ土俵に屋根を支える4本柱がありました。
(※この柱が無くなり現在のような吊り天井になったのは、後述する蔵前国技館時代から、)

    


しかしふんだんに鉄骨を使い、〝大鉄傘〟が有名だった同館は、その後過酷な運命に見舞われます。

まず開館8年後の1917年11月に売店の火の不始末により全焼。

1920年に再建されるも、その僅か3年後には関東大震災により、再度焼失。

    


再々建されたものの、1945年3月10日の東京大空襲により、またしても焼失。

そして戦後はGHQによって接収・改装され、1946年9月に〝メモリアルホール〟としてオープンし、11月に大相撲興行が行われたものの、以後大相撲の使用許可が降りず。

そこで日本相撲協会は戦時中に購入していた蔵前の土地(台東区蔵前2-1-1 前掲地図の少し上)に海軍戦闘機製造工場から鉄骨の払い下げを受けて収容人員11,000名の 『蔵前国技館』 を建設。


1954年から1984年に現在の2代目両国国技館が完成するまでの30年間にわたり、本場所を開催しました。

         


一方のメモリアルホールとなった初代両国国技館は、その後国際スタジアムを経て1958年に日本大学に譲渡され、以降1983年に解体されるまで 『日大講堂』 として各種イベントに利用されました。

    


従って私のような昭和世代にとっては、大相撲=蔵前国技館、プロボクシングの世界タイトルマッチ=日大講堂・・・というイメージが強いと思います。

現在その日大講堂・蔵前国技館とも解体され、それぞれ商業施設ビルと東京都水道局のポンプ場になっていますが、昭和世代の相撲ファンの方は、一度聖地・国技館巡りをウォーキングでなさってみては、いかがでしょう?


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