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拘 置

敗戦後、GHQによってA・B・C級に区分された戦犯が収監されたのが

 巣鴨プリズン

であることは、皆さんもご存知の通り。

ここは元々思想犯や反政府活動家らを収監していた東京拘置所でした。

処刑場もあり、戦時中の1944年にはゾルゲ事件の主犯だったゾルゲと朝日新聞記者の尾崎秀実がここで死刑執行されています。

ここを戦後GHQが接収し、戦争犯罪容疑者を収容するために利用したのです。


       

最も収容人数が多かったのは1950年1月時点で、1,862名にも膨れ上がったとか。

※ ちなみに〝戦犯〟とは、極東軍事裁判において定義された戦争犯罪人で、同裁判で有罪判決を受けた者を指します。


しかし極東軍事裁判そのものは、戦勝国のみによって敗戦国を裁く・・・しかも法律を遡及して効力を持たせるという強引な手法を用いた一方的なものであり、国際法に照らしても合法的な裁判とは到底言えず、この点を強く指摘したパール判事の無罪判決が最も論理的かつ合理的な内容で支持できるものと私は考えてはいますが・・・。  


そのパール判事に関する過去記事は、こちら。(↓) 



1947年2月から既決囚の労働が本格化し、Å級戦犯・60歳以上の高齢者・病人以外は全て就労を命じられたそうで、プリズン周辺の道路整備や兵舎・将校用宿舎建設等の重労働を命じられ、休憩は午前と午後に1回ずつ5分だけ。


この重労働が2年続き、建設物が完成に至ると、戦犯たちは信頼を勝ち取り、減刑などの恩恵を受けたといいます。

新聞・雑誌・本などの閲覧、上野図書館からの借り出しも許可され、ラジオも定期聴取でき、映画も週に1回鑑賞できたそうですが、反面GHQは監房内に隠しマイクを仕掛け、受刑者の会話を盗聴していたというから抜け目がありません。


そして最後の戦犯18名が釈放され巣鴨プリズンが閉鎖されたのが、今から61年前の今日・1958(昭和33)年5月30日のことでした。

その後東京拘置所として復活・利用されましたが、池袋の再開発計画に伴って小菅に移転され、現在はサンシャシンシティーとして連日多くの人々が訪れています。

この巣鴨プリズンでは1948年、当時の皇太子の誕生日である12月23日にA級戦犯7名の死刑が執行されたことは有名ですが、実はB・C級戦犯も多数処刑されています。

その数は、53名。

60名の受刑者が、所内の13番扉を通り、13階段を昇って絞首刑に処せられました。(※1名のみ銃殺刑だったそうな)

        


再開発でこの地に建てられた高層ビル 『サンシャシン60』 の60は、一般的には地上60階だから・・・とされていますが、中には同地で処刑された人数にかけた、なんて説も。

とすれば、この高層ビルは戦犯として処刑された人々の巨大な墓標?

        

それはともかく、現在そのサンシャシン60がそびえたつサンシャシンシティーに隣接する東池袋中央公園の片隅には、処刑された人々の慰霊碑〝平和の碑〟が建てられています。


    

池袋、特にサンシャシンシティーにお出かけの方は、是非一度訪れて手を合わせてください。

さすれば、理不尽な裁判に寄って命を奪われた方々も喜ばれるかと・・・。


    東池袋中央公園


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