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不参加

〝スポーツと政治は別〟・・・昔からよく使われるこの言葉が、この時ほど空しく思えた時はありませんでした。

1978年、アフガニスタンで共産主義政党の人民民主党政権が樹立されたものの、対抗する武装勢力の蜂起によりほぼ全土が彼らの支配下に置かれました。

そこで人民民主党政権はソ連に軍事介入を要請し、それに応える形で1979年のクリスマス・イブにソ連軍がアフガニスタンに侵攻。

アミーン大統領を殺害してカールマル大統領を擁立し、人民民主党の多数派政権を樹立させました。


この時、共産主義政権に抵抗した兵士たちは〝ムジャヒディン〟と呼ばれ、CIAなどから数十億ドルの支援を受けており、当然この紛争は米ソの代理戦争の様相を呈しました。

※ムジャヒディンは、映画007シリーズ 『リビング・デイライツ』 でソ連軍と激しく衝突する場面に登場しています。

結局ソ連軍がアフガンから撤退したのはその10年後でしたが、同国は国際的な非難を浴びると同時に、大きな代償を払うことになりました。

それはアフガン侵攻の翌年夏に開催される予定だった、共産圏初の開催となるモスクワ五輪に多くのボイコット国が出たこと。

アフガンにソ連が侵攻した翌月の1980年1月に、当時のカーター米大統領が西側各国にモスクワ五輪のボイコットを呼びかけ、これに呼応する形で2月には日本政府もアメリカ追随の方針を固めました。

これに抵抗する形で、JOC(日本オリンピック委員会)は大会参加の道を模索。 

4月には代表選手たちが集まり、口々にボイコット反対を表明。

当時金メダル確実と言われていたレスリングの高田裕司選手や柔道の山下泰裕選手が涙ながらに参加を訴える姿は、私を含め国民から同情を集めました。


       


                男泣きする高田選手   

しかし選手たちの声は政治家に届くことはなく、今から39年前の今日・1980年5月24日に開催されたJOC総会で不参加を正式決定。

この採決に際しては、各競技団体の代表者に対し参加に投票した場合は予算を分配しない等々の圧力が政府側からかけられていたといいます。


結局アメリカ・日本をはじめとする32の国と地域がボイコットした結果参加国は81の国と地域に止まり、大会の閉会式ではマスコットのミーシャが涙を流しました。

       


救いは4年後のロス五輪で山下選手が感動の金メダルを獲得し、またいったん現役を引退した高田選手が復帰して銅メダルを獲ったことでしょうか。

しかし、このボイコットに関しては西側諸国が足並みを揃えたわけではありませんでした。

西欧でアメリカに追随したのは西ドイツ・カナダくらいで、イギリス・フランス・イタリア・スペイン・オランダは出場。

ただし、イギリスは政府の支援を得られずオリンピック委員会の独自参加の形を取り、フランス・イタリアなど7ヶ国は開会式では入場行進しなかったり国旗を使用しなかったりと、それなりの抗議の姿勢を示しました。

これら各国の対応を見ると、本当に日本ってアメリカの属国だと改めて認識せざるを得ません。

そしてそれは現在も変わらず・・・。うー


これに懲りたというか、その後JOCは日本体育協会から独立した財団法人となりました・・・が、果たして今後アメリカや日本政府の意向を跳ね返すことができるかどうかは、疑問。

それよりも大事なのは、日本が真に独立国となることでしょうけどネ。


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