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長万部

皆さんは、北海道の長万部(おしゃまんべ)という地名をご存知だと思います。

この地名を全国的に有名にしたのは、おそらくこの方・・・今日は、昭和時代に喜劇俳優・コメディアンとして活躍された、その


  由利 徹  さん


の命日・没後20周年にあたります。

        

由利 (本名:奥田清治[きよはる] ) さんは、1921(大正10)年に宮城県石巻市で大工の長男として生まれました。


元々はピストン堀口に憧れてボクサーを目指していた (※後にプロボクサーだったたこ八郎さんを弟子にしたのも、その思いから?) そうですが、子供の時に観た旅回り一座の舞台にハマッてしまい、芸人になることを決心。

その後何度か家出をしては連れ戻された挙句、18歳で単身上京して伯父の知人の伝手で新宿のムーラン・ルージュに入団。

しかし当初は東北弁が抜けなかったため、通行人など端役ばかり。

それでもその方言がお客にウケて自信をつけた・・・と思ったところで、1943年に陸軍に応召されて中国大陸へ。

幸いにも終戦後復員を果たした由利さんはムーラン・ルージュに復帰しましたが、そこにいたのが森繁久彌さん。

何をやっても彼には敵わない・・・と鬱積していた彼は、ある時新宿の飲み屋で口論になり森繁さんを殴ってしまいます。

ご存知の通り森繁さんはその後大スターの階段を昇り始めるのですが、由利さんは1951年にムーラン・ルージュが解散するとストリップ劇場で糊口を凌ぐように。

※その頃につけた最初の芸名は〝南啓二〟。
次に〝宇津木三平〟、それから〝ムリトオル(無理通る)〟にしようとしたところ、これだと有名になった時に困る・・・ということで、1文字変えて由利徹になったそうな。


しかし捨てる神あれば拾う神あり・・・横浜のストリップ劇場で、彼は(「ハヤシもあるでょ」のCMで有名な)南利明さんと八波むと志さんの2人と出会います。

彼ら3人はテレビのプロデューサーに勧められて1956年に 『脱線トリオ』 を結成。 お昼の生放送などに出演し、人気を博すように。

    

        左から   南さん  由利さん  八波さん


やがてそれぞれが力をつけた3人は、1961年に解散しピン芸人として活躍するようになり、由利さんはお笑い芸人としてだけではなく、『時間ですよ』、『寺内貫太郎一家』など、久世ドラマの常連俳優としても活躍の場を広げていきます。

※久世光彦ブロデューサーに関する過去記事は、こちら。(↓)




とは言え、個人的に由利さんと言えば、やはり冒頭ご紹介した長万部のギャグ。

これは以前高倉健さんの主演映画『網走番外地』(1965年公開)のロケで同地に行った時に長万部町の方に大変お世話になった事から、恩返し・宣伝のつもりで地名を口にしたのがキッカケ。


       


やがて、オシャで足に力を入れ、マンベで両膝をパカッと開くギャグに発展し、これがバカ受け。

子供の頃にテレビで観たことを、私は今でも憶えています。

その後1979年には日劇公演『雲の上団五郎一家』の4代目座長を、そして1991年には日本喜劇人協会々長を務めるなどした由利さんでしたが、吉幾三さんの舞台に出演中体調に異変を感じます。

しかしその時は既に末期がんに侵されていたそうな。

温厚な人柄から多くの後輩芸人に慕われたという由利さんが78歳の誕生日を迎えた1週間後に亡くなったのは、1999年5月20日のことでした。

当初は住民から「バカにするな」と猛抗議を受けたそうですが、葬儀の際にはその長万部町から感謝状が届いた・・・そんなエピソードにも、由利さんの人柄が偲ばれます。

家出・戦争・下積みと苦労を重ねた由利さんの芸には、やはり今時の一発屋さんにはない味わいがありました。

その一端をご覧いただきつつ、叩き上げ芸人のご冥福をお祈り致します。



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