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青 緑

今日・5月6日は、私が最も尊敬する日本人芸術家である日本画の巨匠、

 東山 魁夷 画伯

の命日・没後20周年にあたります。

       

東山画伯(本名:東山 新吉)は1908(明治41)年、船具販売会社に勤務する父・浩介の次男として横浜市で生まれました。

父親が脱サラして船具商の東山商店を始めるため、一家は新吉が3歳の時神戸市に転居。

小さい頃から家に引きこもって絵ばかり描いていたという新吉少年は、

兵庫県立第二神戸中学校(現・兵庫高校)に在学中から画家を志し、東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に進学。


在学中だった1929年に帝展に初出品した 『山国の秋』 で初入選を果たした彼は、卒業後ドイツのベルリン大学に留学。

1940年に日本画家・川﨑小虎の娘すみと結婚し、1945年に応召されたものの熊本で終戦を迎えました。


翌年には29歳だった弟を結核で亡くし、既に父母が他界していた画伯は全ての肉親を失う不幸に見舞われます。


しかし1947年の日展で 『残照』 が特選を受賞したのを契機として、以後風景を題材にするようになった画伯は、『道』(1950年)でまっすぐに伸びるシンプルな画面構成を生み出します。


   

            『残 照』                   『道』

1953年には千葉県市川市に自宅を建て、その後50年以上にわたり同地で創作活動に励むことに。


その後北欧はじめ海外にスケッチ取材に出かけた画伯の作品は人々の支持を集め、その後東宮御所や皇居宮殿、更には唐招提寺御影堂の障壁画などの大作を仕上げます。

 

               唐招提寺障壁画(一部)


その後も多数の作品を残し、1969年には文化勲章を受章。

作家・川端康成とも親交のあった画伯がこの世を去ったのは、1999(平成11)年5月6日・・・90歳での大往生でした。


様々な見方があるでしょうが、私が画伯を尊敬するのは、その日本画に生涯を捧げた真摯な姿勢。


 

     皇居新宮殿障壁画『朝焼けの潮』制作中の画伯(1967年頃)


そしてその作品で特に好きなのは、独特の青緑色。

山国・長野で生まれ育った私にとって画伯が描く山や森の青緑は、まさに故郷そのものなのです。

       
                  
雲立つ嶺』


それもそのはず、画伯は美術学校在学時に信州を旅し、その自然に大きな感銘を受けており、そこから多くのインスピレートョンを得て作品を残していますから。


ということで、画伯は1987年に全ての自己所有作品を長野県に寄贈され、それを展示するため県は信濃美術館に 『東山魁夷館』 を新設し展示しています。

場所は、善光寺のすぐ隣。(↓)

    

       長野市箱清水1-4-4 TEL 026-232-0052


善光寺にお越しの際は、是非本堂から徒歩数分で行ける同美術館にも足を延ばしてください。

       ※同館HP → 
http://www.npsam.com/


今宵はあらためて巨匠のご冥福を祈りつつ、本棚の画集を開きたいと思います。


       


 


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