FC2ブログ
悲 劇

航空機事故は、多くの人命を一度に失う悲劇ですが、時として組織やスポーツチームに壊滅的な打撃を与えます。

有名なものとしては、マンチェスター・ユナイテッドの選手過半数を失った、1958年の〝ミュンヘンの悲劇〟があります。(↓)



これより9年前・・・今からちょうど70年前の今日、イタリアの名門チーム・ACトリノの選手・監督・コーチの殆どを失う


 スペルガの悲劇
  Tragedia di Superga


が起きました。

ACトリノは、1908年にFC
トリノ (Foot Ball Club Torino)として創設されました。

1936年にACトリノ (
Associazione Calcio Torino) と名を変えた同チームは、1927-28、1942-43、1945-46、1946-47、1947-48と5回もセリエAで優勝し、〝グランデ・トリノ(偉大なるトリノ)〟と謳われた強豪チームでした。

    

         1948-49年、事故前のチーム・メンバー


しかし好事魔多し・・・その1948-49シーズンの優勝を目前にした1949年5月4日、ポルトガルのリスボンで行われた親善試合の帰路、チーム・メンバーを乗せたアリタリア航空のフィアットG212型機がトリノ上空で激しい雷雨に遭遇。

    
               
フィアットG212の同型機


コントロールを失った同機は、トリノ郊外のスペルガの丘に建つスペルガ聖堂の外壁に激突。

     


機体は尾翼だけが辛うじて原型を留めるのみで大破し、ACトリノの選手18名と監督・コーチ・チームフロントの5名と乗員他8名の搭乗者31名全員が死亡してしまいました。

    

犠牲者全員に対し国葬が執り行われ、チームはシーズンの残り4試合をユース・チームで戦わざるを得ませんでしたが、相手チームも敬意を表してユース・チームを出したことで、ACトリノは1948-49シーズンも優勝を飾ることに。

しかし犠牲者はチームのエースであったヴァレンティーノ・マッツォーラを始め、大半がイタリアの代表選手でしたから、チームとしてだけでなくイタリア・サッカー界にとっても大打撃となりました。


病気や家族の都合で運よく遠征に帯同しなかった2人を除きメンバーの殆どを失ったチームは、その後上手く再建が出来ず成績が低迷。

1959-60年にはセリエBに降格するなどし、再びセリエAで優勝したのは、事故から27年も経った1975-76シーズンのこと。

また事故翌年にワールドカップ・ブラジル大会に出場したイタリア代表は、痛ましい記憶から飛行機ではなく長旅の船で移動したこともあってか、予選リーグで敗退しています。

唯一と言っていい救いは、犠牲となったエースのマッツォーラの愛息アレッサンドロ(当時5歳)が、その後父親と同じくサッカー選手となってミラノの強豪・インテルに入団、1960~70年代にイタリアを代表するスタープレイヤーになった事でしょうか。

         




               人気ブログランキング

スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック