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対 話

「知っている哲学者は、誰?」


と聞かれれば、おそらく多くの方はこの人物の名を挙げることでしょう。

今日・4月27日は、古代ギリシャでその名を馳せた、


  ソクラテス
  Σωκράτης

の命日にあたります。

       


ソクラテスは孔子が亡くなってから9年後の紀元前470年頃、石工の父・ソプロニコスと助産婦の母・バイナレテの間にアテナイ(※アテネの古名)で生まれた、といわれています。

彼が青年期に過ごしたアテナイは民主制が花開いた時代で、あの有名なパルテノン神殿を建てさせた名将・ペリクレス(BC495-BC429)が統治した安定期。

ソクラテスも自然科学などの学問に励んだようですが、彼が30歳後半の時期にアテナイとスパルタの間でギリシャの主導権を争うペロポネソス戦争が勃発。(BC431~BC404)

彼も40歳から3回にわたり自前の武器を手に重装歩兵として従軍したと伝えられています。

その後のアテナイはペリクレス将軍の死去とペストの流行により衰退。


栄華と没落を短期間に味わった故郷で、優秀な戦士だったソクラテスは哲学者として生きていくことに。

ある時、彼の弟子カイレフォンがアポロンの神託所で巫女に 「ソクラテス以上の賢者はいるのか?」 と尋ねたところ、「彼以上の賢者は一人もいない」という答えが返ってきたとか。

それを聞いたソクラテスは、その意味を自問自答・・・そして

「知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しは優っている」

つまり、無知であると自覚している分だけ私の方が賢い・・・いわゆる〝無知の知〟を悟ります。


その後彼は政治家を始めあらゆる知者・賢者といわれる人々との対話を始め、相手に無知であることを自覚させようとしました。

つまりソクラテスは、意見が違う者同士が対話することによって相手に矛盾を気付かせようという問答法(弁証法)を重視したわけです。

しかしこの手法は相手をやり込め言い負かして恥をかかせることにもなり、周囲の自分の評価を高めさせる効果がある反面、敵を多く作る結果に。

私が尊敬する政治家・田中角栄氏は生前、「上の地位に就きたければ、味方を作るよりも敵を減らすことだ」 という言葉を残していますが、ソクラテスはその教えの逆をやったわけです。


そして紀元前404年にアテナイがスパルタに負けて30人僭主体制となり、その指導者クリティアス(紀元前460年頃~紀元前403年)に反対する市民1,500人が裁判なしで処刑される事態に。


そのクリティアスの死後、彼と親友だったことでソクラテスは代わりに市民の怒りを買う形となり、「アテナイの国家が信じる神々とは違う神を信じ、若者を堕落させた」 と告発され、公開裁判にかけられることに。

しかし彼は自身の弁明を行い、自説を曲げず謝罪しなかったことから死刑判決を受けてしまいます。

旧友・クリトンらに脱獄・逃亡を勧められ、また彼に同情した牢番もカギを開けっぱなしにして彼の逃亡を助けようとしましたが、

「悪法も法なり」

とするソクラテスは、紀元前399年4月27日に、潔く自ら毒ニンジンを口にしてこの世を去りました。


彼が刑死を遂げた後になって、アテナイ市民は不当な裁判によって偉大なる哲学者を亡くしたと後悔し、告訴人を裁判なしで処刑したそうですが、後の祭り・・・。

そのソクラテスといえば、まず頭に浮かぶ書籍は、


 『ソクラテスの弁明』

       


これは、私が小学校6年生の頃に背伸びして買った、我が家に現存する最も古い岩波文庫。

ただしソクラテス自身は全く著作を残しておらず、この本の著者であるプラトンら弟子の手によって彼の言葉が書き残されているのみ。

今読み返そうと思っても、紙が黄ばんでいるし字も小さくて無理。

ということで、ソクラテスの思想・教えに触れてみたい方には、こちらをオススメします。


 『ソクラテス われらが時代の人 (日経BP社・刊)

       


著者は 『チャーチル』、『ナポレオン』、『ユダヤ人の歴史』 など多数の著書を手掛けたイギリスの歴史家。

翻訳本としては比較的読みやすく平易ですので、哲学という堅苦しいイメージを拭い去って読んでみてください。


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