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未 完

今日は、スペイン・バルセロナを拠点に活躍し、その作品群が世界遺産に指定されている世界的建築家、


  アントニオ・ガウディ

 Antonio Plácido Guillermo Gaudí y Cornet


の命日にあたります。


          


ガウディは、1852年にカタルーニャ州タラゴナ県に生まれました。

父親は銅細工を生業としており、母親も銅細工職人の家系だといいますから、ガウディにはモノ作りのDNAがしっかり受け継がれていたのでしよう。


彼は幼少時から病弱でしたが、反面自然に対する観察眼は非常に鋭かったそうで、それが後の造形美の基礎となったようです。


1863年にピスリスト修道会の学校に入学すると、トダ、リベラという2人の友人を得て、彼ら3人は連れだって旅行し、ローマ遺跡などを見学。

16歳の時、バルセロナ県立建築専門学校予科に入学し、更に1873年から約4年間に渡りバルセロナ建築学校で学ぶと同時に、建築設計事務所で働き経験を積みます。

そして1878年に建築士の資格を取得したのですが、彼の卒業設計である『大学講堂』を見たビリャール教授は、「悪魔か、天才か」という言葉を残しており、早くもその異才ぶりを発揮しています。

彼はその年、パリ万博に出展するショーケースのデザインを手がけたのですが・・・それを目にして彼の才能を見抜いたのが、繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエルでした。

その後40年以上にわたり彼は死ぬまでガウティの後援者となり、自分の邸宅やコロニア・グエル教会の地下聖堂、グエル公園などの設計を彼に委託したのです。


そして1883年、彼はあのサグラダ・ファミリアの選任建築家に任命されました。


         

その後ガウディは他の仕事を断り、サグラダ・ファミリアの建設に没頭・・・したのですが、親族や友人の相次ぐ死亡や、バルセロナ市の財政危機により仕事は思うように進まず。

更に1918年に支援者だったグエンが亡くなったことが大きく影響を及ぼしたと言われており、精神的に追い詰められた彼は自殺をも考えたと言われています。

以後の彼は他人との接触や取材、写真撮影などを気を極端に嫌うようになり、部屋に引きこもるように。

そして1926年6月7日、彼はミサに向かう途中、路面電車に轢かれてしまいます。

果たしてそれは、単なる事故だったのかどうか?

若かりし頃はダンディで服装にも気を使っていた彼は、その時ボロボロの服を着ていたため浮浪者と間違えられてしまい、そのため治療が遅れたこともあって2日後の9日に73歳の生涯を閉じました。


ガウディの建築は幼少期の生物観察から影響を受けた独特の曲線美と細かい装飾が特徴で、後世の建築や芸術に大きな影響を及ぼしました。


しかし残念ながら彼の手による設計図は、その多くをスペイン内戦で焼失しており現存していないとのこと。

彼の遺体が埋葬され、そして現在も続けられているサグラダ・ファミリアは残された数少ない設計図を元に建設が進んでいるそうですが、公表通り2026年に完成した時・・・果たしてガウディはその出来栄えに満足するのでしょうか?笑3




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