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延 々

今からちょうど200年前の今日、ナポレオン戦争終結後の欧州の領土分割・再編を目的として開催されていた

 ウィーン会議


が、『ウィーン議定書』 の締結を以って終了、同地域の秩序安定が一応保たれることになりました。


この会議には、オーストリア、ロシア、イギリス、プロイセン、フランス、オランダにローマ教皇領など多くの国々が参加。

会議が開始されたのは前年1814年9月からだったのですが、参加国それぞれの思惑が絡み、遅々として進まず。

    


しかし会議中の1815年3月にナポレオンがエルバ島を脱出したという一報が入ると、危機感を抱いた各国が妥協を図り、急遽 『ウィーン議定書』 がまとめられるに至りました。


(※この僅か9日後にワーテルローの戦いが勃発、フランス軍は英・蘭連合軍とプロイセン軍の攻撃を受け敗退。 ナポレオンはセントヘレナ島に流され、彼の〝百日天下〟は幕を下ろしたのです。)


さて、このウィーン会議は日本でも良く知られていますが、それは会議の内容云々ではなく、この言葉。

〝会議は踊る、されど進まず。〟
Le congrès danse beaucoup, mais il ne marche pas

この言葉を残したのは、フランスのリーン家7代目、シャルル・ジョセフ・ド・リーニュ候。 (1735-1814)

        
              Charles-Joseph de Ligne

彼は元々ベルギーの名門貴族の出で、父親の命によりハプスブルグ家に仕え、7年戦争やトルコ戦争で手腕を発揮した軍人。

一方で文才にも恵まれたという才能豊かな人物だったようですが、反面出世欲はなく当時は質素ながらも悠々自適な生活を送っていたようです。

前述の通りウィーン会議は遅々として進まなかったのですが、その原因のひとつが参加各国の代表が皆貴族で外交交渉より夜な夜な開かれる舞踏会にご執心だったから。

更にはその夜遊びを当て込んで、各国の高級娼婦がウィーンに集結。
風紀は大いに乱れ、更に物価も上がってウィーン市民の怒りは増す一方。

それに業を煮やした元軍人ド・リーニュ候の舞踏会にひっかけた強烈な皮肉は、ウィーン市民の喝采を浴びたとか。

まさに座布団5枚級の名言ですネ。

現代日本の政治は、舞踏会を開かずとも遅々として進まず。

もしド・リーニュ候がこのモタモタを草葉の陰で見ていたら、果たしてどんな皮肉を飛ばすのでしょうか?



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