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弾 圧

今から10年前の2009年、チベット自治区第9期人民代表大会第2回会議において、今日・3月28日を


チベット(100万人)農奴開放記念日


とする案を、全員一致で可決しました。


これは今から60年前の今日・1959年3月28日、当時の周恩来首相がチベット地方政府の解散を宣言し、同地方政府の職権をチベット自治区委員会が行使することを発表したことを祝うもの。

それまでのチベットは人口5%足らずの官僚・貴族・高位の僧侶らが農奴主となり、チベットの殆どの耕地・牧場・家畜を所有し私有財産として支配しており、それを中共の指導の下に農奴が立ち上って解放された、同国人権史上の偉大な出来事でした。

・・・というのは、あくまで中共の公式見解。

当然のことながら、チベット側はこれに猛反発しています。


       


1959年3月28日は、ダライ・ラマがインド脱出直後に侵攻した共産勢力によりチベット政府が解散に追い込まれた日であり、解放という名のもと、中共が軍事力をもってチベットを侵攻したのは明白である・・・と。


チベットは来年チベット暦2150年を迎える古い歴史を持ち、7世紀に国王ソンツェン・ガンポが国家の統一を果たした当時は、286万人もの軍隊を持つ中央アジアで最も強大な国家だったとか。


       

                   チベット国旗


その後モンゴルや明・清朝、インドとの関係で紆余曲折があったものの、1935年に生まれたダライ・ラマ14世が1940年に即位。


しかし1949年、内戦で勝利した中共の人民解放軍が自国内を掌握すると同時に、隣国のチベットに侵攻。

1954年にダライ・ラマ14世が北京に赴き和平交渉を行うも、圧倒的軍事力を有する人民解放軍の侵攻は止められず。

そして1959年3月10日、ダライ・ラマ14世の身を案じた首都ラサの市民が一斉蜂起。

しかし人民解放軍が容赦無き弾圧を加え、約87,000人を殺害。

ダライ・ラマ14世は止む無く約8万人の国民と共にインドに亡命し、チベット亡命政府を樹立。

そして前述の通り、周恩来首相がチベット政府の解散を宣言したのです。

その後ダライ・ラマ14世は世界各国を回りチベットの現状を訴え、1989年にはノーベル平和賞を受賞。


       


また国連も何度もチベットに関する決議を行っていますが、中共はどこ吹く風で厳しい取材制限・情報統制を敷くと共に、自治区での弾圧・民族浄化を進めているのです。

支那のやり口は変わりませんから、もし尖閣諸島を獲れば次は間違いなく沖縄を狙ってきます。

今、琉球王国独立などという主張に同調している沖縄県民は、このチベットの歴史と現状をよく見極めて欲しいもの。

相手は絶対にあなた方とは共存しない、するつもりもない民族であることを知るべきです。
うー

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