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勇 断

三船プロと石原プロがタッグを組み、熊井啓監督がメガホンを取んで1968(昭和43)年に公開された、昭和の日本映画史に残る屈指の名作、『黒部の太陽』。

 ※同作に関する過去記事は、こちら。(↓)



この作品の中で、名優・滝沢修さんが演じていたのが、黒四ダム建設の決断を下した

 太田垣 士郎 

今日は、この関西電力・初代社長の命日・没後55周年にあたります。


        


太田垣氏は1894(明治27)年に現在の兵庫県豊岡市に開業医の息子として生まれました。


父は自分の跡継ぎとして息子を医者にしたかったようですが、そんな思いを知ってか知らすが、士郎氏は子供の頃からヤンチャな暴れん坊で、〝ガキ士郎〟と呼ばれていたとか。

ところが11歳の時、夏休み明けの登校途中に半紙を止める真鍮製の割り鋲を誤って飲み込み、それが気管支に突き刺さってしまいます。

医者だった父親はもちろん京大病院でも鋲を取り出すことが出来ず、これがキッカケとなって太田垣少年は一転血痰と発熱に苦しめられて病弱の身になり、これが後年彼を苦しめることに。

※但し刺さった鋲は、その6年後激しく咳き込んだ際自然に飛び出したそうな。

その後第五高等学校(熊本大学の前身)から京都帝国大学経済学部へと進み、卒業後日本信託銀行に入行。

しかし同行で相場に失敗した太田垣氏は、銀行の経営が思わしくなかったこともあって、当時まだ創業20年程ながら小林一三氏の手腕により急成長中の阪急電鉄に転職。

その小林氏の机のすぐそばで庶務課文書係員として働くこととなった彼は、稀代の経営者の薫陶を受けることに。

そして戦後公職追放で小林ら経営幹部が表舞台から消えるという幸運(?)に恵まれた彼は52歳だった1946年、京阪神急行の社長に抜擢されました。

社長就任早々から激しい労使交渉に晒される中、日本航空に先んじて日本で初めてパン・アメリカン航空と代理店契約締結に成功。

就任2年目の時に22歳の長男を病気で亡くし、看病していた25歳の長女がその死にショックを受け続けざまに亡くなるという不幸にもめげず、〝怒らず・焦らず・恐れず〟の精神で組合との妥結に成功。


更に経営に行き詰まっていたグルーブ会社・東宝の再建にも成功し、〝阪急に太田垣あり〟と一躍有名に。

そして戦後復興に欠かせない電力事業につき、〝電力王〟松永安左エ門が陣頭に立って全国に電力会社9社を立ち上げましたが、そのひとつで1951年に設立された関西電力の初代社長として太田垣氏に白羽の矢が。

電力の絶対的な不足を補うため、太田垣社長は役員会で幹部がこぞって反対する黒部第四ダムの建設に踏み切ったのです。

「経営者が10割の自信を持ってとりかかる事業・・・そんなものは仕事の内に入らない。
7割成功の見通しがあったら勇断を以って実行する。
そうでなければ本当の事業はやれるものじゃない。」
そういう信念のもとにGOサインを出した太田垣社長は、

「こんな危険なところで作業させているのは、社長の私なんだよ。」

と言って部下の制止を振り切り、病身の身体をおしてトンネル掘削現場の最先端まで入り込み、作業員一人一人と握手をしながら

「ご苦労さん!」 「頼みますよ!」

と激励したそうな。 

トップのこの姿を見て、現場が発奮しないわけがありません。


    

            現場視察をする太田垣社長(中央)


大幅な工事の遅れはあったものの、黒四ダムは1963年に見事完成。

当時の関西電力の資本金の5倍にあたる513億円という巨額な総工費をかけ、作業員延べ1万人・殉職者171名を出した同ダムは、関西の需要電力の50%を補い、同地域の工業・経済発展を支える大きな柱となりました。


そして病気がちで度々病室から指示を出していたという太田垣社長は、完成の目途が立った1959年に社長の座を後進に譲ると、その後関西経営者協会々長・電気事業連合会々長などを歴任。

また1964年の東京オリンピック開催資金調達の総責任者を務めるなど、その活躍は多方面にわたりました。

そんな太田垣氏が脳軟化症により70歳でこの世を去ったのは、黒四ダム完成の翌年、そして東京五輪開催の半年前となる1964(昭和39)年5月4日のことでした。

とかく創業社長と違い、サラリーマン社長は度胸や判断力の欠如を指摘されがちですが、そうではない大経営者もいることを自ら示した太田垣氏。

その能力の高さ・器の大きさは、彼を慕う形で作られた経営者懇親会・午七会にあの松下幸之助氏が加わり、太田垣氏の葬儀で彼が友人代表で弔辞を読んだことからも窺えます。

そんな太田垣氏の生き様に興味がある方には、半年前に出版されたこちらのご一読をお勧めします。


胆斗の人 太田垣士郎 黒四(クロヨン)で龍になった男
                         (北康利・著 文藝春秋・刊)

       


今宵は再び同書のページをめくりつつ、〝胆斗の人〟のご冥福を祈りたいと存じます。


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