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名 人

将棋における最高位は、言わずと知れた〝名人〟ですが、今日は史上初めてその名人を名乗った

  大橋 宗桂 (初代)

の命日・没後385周年にあたります。

       


宗桂は、1555(弘治元)年に京都の町人・宗也の息子として生まれました。


実家は比較的裕福だったと考えられますが、幼少~青年期について、またどのような経緯で将棋に関わったのかは詳しく分かっていません。

ただ当時の京都には将棋や碁を指すことを生業にしていた芸人・遊芸師と呼ばれる人たちがいたそうですから、彼はその中で頭角を現したのでしょう。

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人に仕え、信長から

「桂馬の使い方が上手い」

と褒められたことから、名を宗慶から宗桂に変えたとか。

そして囲碁・将棋を好んだ家康が碁将棋所を設け、1607年に宗桂と本因坊算砂を江戸に招聘して2人に将棋対局を行わせ
この時の棋譜が現存する将棋界最古の棋譜だといわれています。

この対戦では宗桂が133手で勝利を収め、現存している両者の棋譜の対戦成績は、宗桂7勝・算砂1勝だそうな。

 ※本因坊算砂に関する過去記事は、こちら。(↓)



当時の棋士は囲碁を打つと同時に将棋も指しており、算砂が将棋・囲碁共に名人を名乗っていたようですが、1612年に幕府が将棋・囲碁双方の棋士8名に俸禄を与え、同年に算砂が将棋所を大橋宗桂に譲渡。

この時点で囲碁と将棋が分離し、宗桂が将棋の初代名人となりました。
(※異説あり)


宗桂は現存する最古の詰将棋集 『象戯造物』 を遺しており、また名人になった4年後、幕府に作品集を献上。

以後名人が作品集を献上する習慣が生まれたとか。

宗桂は1634(寛永11)年3月9日に亡くなりましたが、名人位は息子・宗古が世襲。

以後将棋名人は大橋本家・伊藤家・大橋分家の将棋家元三家の中から最強の者が選ばれ、大橋本家はその筆頭格。

宗主は代々宗桂を名乗り、前述の2代宗古・5代宗桂・9代宗桂が名人を襲名。


しかし、名人と言ってもそれはあくまで名誉が与えられただけ。

幕府から名人家に与えられた扶持はごく僅かで、将棋関連の収入と合わせてもそれだけでは生活できず、賃貸などの副業で辛うじて凌いでいたとか。


いつの時代も、名誉だけで飯は食えないですネ。
うー


1910年に12代宗桂が没するまで大橋本家は続き、昭和初期まで名人はあくまで名誉称号でしたが、十三世名人・関根金次郎が名人返上を表明したことから、日本将棋連盟が実力制名人戦の開催を決定。

1937年に木村義雄八段が花田長太郎八段を破って名人位に就き、以後毎年名人戦が行われる形で現在に至っています。

さて気になるのは、初代・宗桂の実力が現在の将棋界でどれくらいのレベルだったのか。

残されている棋譜をコンピューター解析して、実力診断して欲しい・・・なんて思うのは、私だけでしょうか?

そんなことをしたら、初代が怒って枕元に立ったりして。

それはともかく、初代宗桂のお墓が京都・伏見の霊光寺にありますので、将棋ファンの方は是非一度訪れてみてください。

〝桂馬〟と刻まれた墓石は、しっかり将棋の駒の形をしています。


        


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