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国 境

ここ数年来、尖閣諸島の領有権問題が深刻化しています。


中には繰り返し支那が飛行機や船舶で尖閣諸島近くの日本領海・領空に侵入を繰り返している現在でも、「話し合いで解決を」 と悠長に主張する向きもあるようです。

そういう方には是非この、今からちょうど50年前の今日起きた領土問題に絡む紛争を通して、相手の国家体質を知っていただきたいと思います。


それは、支那・ソ連両軍が衝突した


 珍宝島(ダマンスキー島)事件


勃発地点は、ウスリー川中流。(


    


1860年の北京条約により、この河川が国境となっていましたが、そこにある中洲の珍宝島(ダマンスキー島)については曖昧なままであり、両国がその領有を主張していました。(↓)


   


以前は同じ共産国同士で蜜月関係だった両国でしたが、1950年代後半から急速に関係が悪化。


1960年代には約5,000kmに及ぶ長大な国境線を挟んで、約66万人のソ連兵と約80万人の人民解放軍が対峙し、一触即発の緊張状態に。


そして1969(昭和44)年3月2日に、面積僅か0.74㎢・・・東京ドーム15個分程の同島で両軍が衝突。


お互いが 「相手から先制攻撃を受けた」 という (お決まりの) 声明を出し、31名の戦死者を出したソ連軍は支那軍に砲撃を加えた上で、同島に部隊を突入。


結局ソ連側80名、支那側800名もの死傷者を出す本格的な戦闘に。 (但し支那側は全く逆にソ連側が被害大と主張しています。)


    


この衝突が端緒となり、同年7月には黒竜江、8月にはウィグルでも衝突が発生し、両軍が核兵器の使用を準備する緊張状態にまで発展したのです。


そこで支那はどうしたか?


なんと、それまで冷戦状態でソ連と対立していたアメリカに急接近したのです。


敵の敵は味方・・・ということでしょうか?


ベトナム戦争が泥沼化し幕引きを考えていたアメリカは、この申し出を渡りに船とばかり受諾し、1972年にはニクソン大統領が電撃的に北京を訪問。


(その動きを察知した田中角栄氏が同年総理大臣になった直後に支那を訪問し、アメリカに先んじて実質的な国交回復に至ったのは皆さんもご存じの通り。)


支那のアメリカ急接近と、ソ連自体がペレストロイカによる民主化という大きなうねりがあったせいか、ソ連が崩壊する直前の1991年5月に国境協定が結ばれ、同島は支那への帰属が決定したのです。


この一連の動きから分かること・・・それは、


◆ 支那は、一旦領有権を主張したら絶対にあきらめない。


◆ 場合によっては、核兵器使用もいとわない。

◆ 目的達成のためには、それまでの友好国とも平気で喧嘩し、また敵対する相手とも手を組む強かさを持つ。


ということ。 


その姿勢は半世紀経った現在でも、全く変わっていないでしょう。

いや、むしろ当時より強硬に領土拡大を目指しているはず。


さて、そんな覇権主義国と日本が対峙している尖閣諸島問題。


「領土問題は存在しない」 などという文言で、相手が怯むわけがないことは明らか。

我が国が〝平和憲法〟とやらに縛られ、手も足も出ないことを彼らは知っていますから。


そういう強かな相手から、どうやって領土を守っていけば良いのか?


その方策は、この事件を教訓にすれば見えてくると思うのですが・・・。


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