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発 禁

今から81年前の今日・1938(昭和13)年2月18日、発売されたばかりの雑誌 『中央公論』 3月号が、即日発禁処分となりました。

それは、同誌に掲載された


 
『生きてゐる兵隊』

という小説が問題視されたから。


        


style="font-family: "MS Pゴシック";">この小説の作者は、昭和世代には『金環触』『青春の蹉跌』 などでお馴染みの小説家・石川達三(1905-1985)さん。


        


 


同小説は、支那との歴史問題として長年論争になっている、いわゆる『南京事件』 の従軍記として上梓されたものでした。

実際石川さんは
中央公論社特派員として、南京陥落(1937年12月12日)直後の翌年1月に上海に上陸し、その後南京入り。

南京事件に関与したといわれる第16師団33連隊を取材した上で、帰国後に執筆したもの。

約1/4が伏字削除されていたのですが、それでも日本軍は即日発禁処分にしました。

ただしそれは事件の隠蔽を図るためではなく、全編にわたって

「日本兵が戦闘員・非戦闘員に殺戮を加え」
「日本軍が掠奪主義を肯定しているが如き」
「日本兵が支那非戦闘員に対しみだりに危害を加え掠奪する状況」
「性欲のために支那人婦女に暴力をふるう」


場面が描かれており、当時の出版警察法に基づく誹謗の規制としてなされたものでした。


後日、石川さんと編集者・発行者の3名は新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)の容疑で起訴され、石川さんは禁固4ヶ月・執行猶予3年の判決を受けました。


そして発禁処分となったのには、別の理由があったと言われます。

それは、同作が事実に基づいたノンフィクションではなかったこと。 


著者自らが初版自序で


「この稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものである」

と記していましたから。

戦後、当初伏字だった部分も復刻して出版され、1948年に行われた読売新聞インタビューでは


「入城式に遅れて正月私が南京へ着いた時、街上は死体累々大変なものだった。」


と答えていますが、その一方で亡くなる直前のインタビューには

「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です。

大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。

何万の死体の処理はとても2,3週間では終わらないと思います。

あの話(虐殺)は、私は今も信じてはおりません」


という回答を寄せていますし、石原慎太郎氏も都知事としての定例会見(2012年3月)時、記者の質問に

「(南京大虐殺は)なかった、と(石川達三)本人から聞いた」

と答えていますから。

現在もこの小説は文庫本として発売されていますが、前述した著者自身の自序は削除されており、中央公論社の売り文句は

〝虐殺があったと言われる南京攻略戦を描いたルポルタージュ文学の傑作〟

南京に8日、上海に4日滞在しただけで戦闘の現場にも居合わせなかった特派員の作品を、あたかもノンフィクションであるかのように宣伝しており、それがために読んだ方の多くが真実だと思っているようですから、私に言わせれば殆ど詐欺商法。

        


芥川賞の第1号受賞者にして日本ペンクラブの会長をも務めた作家としては、実に残念且つ無責任な作品であり、出版社に何らかの意図があると疑わざるを得ません。
うー

いわゆる 『南京事件』 の真偽を知りたい方には、この作品ではなく以下の検証本のご一読をオススメします。

まずは実際に南京に入場した兵士らから複数の証言を集めた


 『「南京事件」 日本人48人の証言 

                (阿羅健一・著 小学館文庫・刊)


        


 


前述の石川さんが亡くなる直前のインタビューも、掲載されています。

もう一冊は、この証言を織り込んで各国の公文書や文献、報道を徹底検証した


 『「南京事件」の総括』 

                (田中正明・著 小学館文庫・刊)


           




この2冊を通して、いわゆる 『南京事件』 は国際法上違法な極東軍事裁判で日本を貶めるためにでっち上げられたものであり、『生きてゐる兵隊』 からも引用した朝日新聞・本多勝一記者の記事を端緒に刷り込まれた捏造事件であったことを、是非知っていただきたいと思います。



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