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ベレー帽

私が生まれて初めて触れた漫画(アニメ)は、おそらく『鉄腕アトム』。

東京五輪の前年・1963(昭和38)年から始まった初の国産アニメである同作を、白黒テレビで毎週欠かさず観ていた私は、


「空を超えて~、ラララ星の彼方ぁ~・・・」

という主題歌を今でもちゃんと歌えます。
あせあせ


       


漫画界の記念碑といってもいいこのアニメの作者は、もちろん


 手塚 治虫 さん


ですが、今日はこの〝マンガの神様〟の命日・没後30周年にあたります。


        


手塚(本名:治)さんは、1928(昭和3)年に、大阪府で生まれました。

本名は、ちょうど明治節に生まれたことに因んでつけられたとか。


曾祖父は蘭方医、祖父は司法官という家系だったそうで、父親もサラリーマンでありながら当時としては珍しい映写機を持つハイカラな方。


一方の母親も、治少年に 『のらくろ』 等の漫画本を買い与えるような、結構さばけた女性だったとか。


小学校の頃、友人に感化されて天文学・科学、そして虫に興味を持った彼は、小学4年生にして本名に虫をつけた〝治虫〟というペンネームを作っていたそうで、小5の時に描いた漫画は、それを取り上げた先生が職員室で回し読みしていた程ハイレベルな代物だったそうな。


終戦の年、大阪帝大附属医学専門部に入学した手塚氏は在学中も漫画を描き続け、医師免許を取得したにもかかわらず、母親の勧め(!)もあって漫画家の道を進むことに。


1952(昭和27)年に上京し、翌年に〝漫画家の聖地〟となるトキワ荘に入居。 その頃から 『鉄腕アトム』 の連載が始まったのでした。


子供時代の記憶の中では、テレビアニメとなった 『鉄腕アトム』 と 、日本初のカラーTVアニメ・『ジャングル大帝』、そして少年チャンピオンに連載された 『ブラックジャック』 が強く印象に残っています。


そしてちょうど私が社会人になった年からビックコミックに連載が始まった 『陽だまりの樹』


1961年に虫プロダクションを設立してテレビアニメ製作に進出した手塚さんでしたが、会社経営に苦しんだり、他の漫画家との軋轢などを生じてしまいます。


しかし柔和な見かけとは裏腹に大変負けず嫌いだった彼の性格が、それらの問題を乗り越えていく原動力だったのかもしれません。


1988年に胃ガンが発見された後も仕事を続け、昏睡状態から意識が回復するたびに 「鉛筆をくれ」 とせがんだという手塚氏が60歳で息を引き取ったのは、1989(平成元)年2月9日でした。


今の私と同じ年齢での他界・・・まだまだ活躍でき年齢だけに、さぞ無念だったことでしょう。

その手塚作品の中で、かつて指定図書として会社スタッフに読ませていたのが、彼の大作


 『ブッダ』 (全12巻 潮ビジュアル文庫・刊)


       ブッダ


物語の中には架空の人物などが登場したりもしますが、お釈迦様の生誕から入滅までが大河ドラマの如く、ゆったりと語られて行きます。


仏教という深遠なる大海の淵に立ち、その奥底を覗くキッカケになる漫画絵巻といえるでしょう。


私は初めてこの本を手に取った時、冒頭の〝一匹のウサギが旅人を助けようと食べ物を探したが見つからず、自らを食べてもらうために火の中に飛び込む(!)〟・・・という逸話を読んでからページをめくる手が止まらなくなりました。


そして一気に12巻の最後まで読み進んだ刹那、何故か涙が頬を伝っていた事を憶えています。


後折りに触れて何回も読み直しておりますが、そのたびに新しい発見や想いを巡らされる秀作・・・皆さんにもご一読をオススメします。


今宵は久しぶりにこの文庫漫画のページをめくりつつ、ベレー帽がトレードマークだった巨匠のご冥福をお祈りしたいと思います。


 


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