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奇 襲

平安時代末期、平氏を徐々に追いつめた源氏も初期の頃はまだ一枚岩ではありませんでした。

1184(寿永3)年1月20日の『宇治川の戦い』で、源頼朝の命を受けた源範頼・義経の連合軍が源義仲を打ち取って、ようやく同族内の争いに一段落をつけた形になりましたが、その隙に平氏も勢力を盛り返して瀬戸内海以西を制圧、数万騎の兵力を以って京都奪還を画策。


その両軍が、前述の『宇治川の戦い』 から僅か3週間足らず後・・・今から835年前の今日・1184年2月7日に摂津国福原(現・神戸市中央区)および須磨(現・神戸市須磨区)で激突したのが

一ノ谷の戦い

でした。


それに先立つ1月26日、後白河法皇は頼朝に平家追討と三種の神器奪還を命じる宣旨を出し、それに基づいて範頼が5万6千騎、義経が1万騎を率いて京都を出発し、摂津国入り。

2月7日に両軍が激突したわけですが、その前日に源氏を勝利に導く伏線というか策略がありました。

ちょうど平清盛の三回忌を執り行っていた平家陣営に、後白河法皇から和平を勧告する使者がやってきたのです。

平家追討を指示した本人が和平を・・・なんておかしな話だと私なら怪しみますが、お公家様の平家はそれを信じて一安心、油断してしまいます。

そこに翌日源氏の大群が数カ所同時に攻め入ってきたのですから、平家に勝ち目はありません。


なのになぜこの合戦が、その戦場の1部であった一ノ谷の地名が冠せられているかというと、そこで有名な義経の奇襲・〝鵯超えの逆落とし〟があったとされているから。


         


平家が陣を構える一の谷の裏手にある山に70騎の精鋭を引き連れて登った義経は、地元の猟師から「鹿は通る」と聞き、「鹿が通れるなら馬も通れるはず」と、自らが先頭になって一気に急坂を駆け下り、全く無警戒だった平家の背後を突いて勝利した・・・というもの。


しかし鵯越という場所は、一ノ谷から8kmも離れており、駆け降りるような山はありません。

一ノ谷の裏手には鉄拐山(てっかいさん)があり、ここから駆け降りたのなら話は分かりますが、一方でこの逆落としの逸話は 『平家物語』・『吾妻鏡』 に出てくるものの、歴史的資料として信憑性が高いとされる九条兼実の日記 『玉葉』 には義経が一ノ谷を攻め落としたという記述はないとのこと。


  

  
鵯越は右上の赤ポイント 一ノ谷は左下のオレンジ地域で、その上に鉄拐山


個人的には、この逆落としのエピソードは悲劇のヒーロー・義経を持ち上げるための創作だと思うのですが・・・。

他に有名な逸話としては、信長が好んで舞ったことで有名な謡曲に名を残す、平敦盛の最期ですが・・・これに関しては、過去記事をお読みください。(↓)



いずれにせよ、この戦いによって平家は多くの若武者を失い、一気に源氏が優勢になった事は確か。

言うなれば、〝平安時代のミッドウェー海戦〟ってところでしょうか。


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