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急成長

東南アジア・マレー半島の突端に位置し、本島及び60以上の小さな島々からなり、埋め立てにより拡張されてきたとはいえ、面積は東京23区とほぼ同じ719.2㎢。

しかし高度に都市化され、人口561万人(
中華系74%,マレー系13%,インド系9%)の1人当たりGDP(国内総生産)は、日本(38,882ドル・世界22位)を大きく上回る52,960ドル(世界10位・2016年時点)と、世界屈指の高度成長国である


 シンガポール共和国
   Republic of Singapore


    


 同国は1400年頃にマラッカ王国が建国されたものの、1511年にはポルトガルに占領され滅亡。

同国の国王はマレー半島のジョホールに逃げてジョホール王国を建国し、現在のシンガポール領域を支配。

1641年にオランダが同国と手を組んでポルトガルを追い出しオランダ領マラッカが成立するなど、欧州の支配が続きました。

その歴史の中で、現在の発展を遂げた転換点と言えるのが、今からちょうど200年前の今日・1819年2月6日にイギリスがジョホール王国から商館建設の許可を取り付ける条約を締結したことでした。

この契約を成立させたのは、当時イギリス東インド会社の書記官だった


 トマス・スタンフォード・ラッフルズ(1781-1826)
      Sir Thomas Stamford Raffles


なる人物。


       


 14歳の時からロンドンの東インド会社に務め始めたという彼は、24歳の時にマレー半島のペナン島に赴任し、現在シンガポールの公用語であるマレー語を習得。

1811年に当時フランスの勢力下にあったジャワ島攻撃のイギリス遠征軍に加わり、副知事に任命されると、帰国後 『ジャワ島の歴史』 を著しナイトの称号を得た、いわゆる東南アジアのスペシャリストでした。

その彼が1818年、スマトラにあった東インド会社の植民地ベンクレーンの副知事として赴任し、翌1819年1月に人口僅か150人程の現在のシンガポール島に上陸。

地政学的にこの島が重要拠点であると睨んでいた彼は、前述の契約締結に成功すると、地域の名称も現在のシンガポールに改めると共に都市計画を推進。


無関税の自由港政策を執ったことで、同島の人口はわずか5年間で1万人を超える急成長を遂げ、1824年には植民地として正式にジョホール王国に割譲を認めさせると同時に、オランダにイギリスの植民地化を認めさせました。

大東亜戦争時は山下奉文大将率いる日本軍が占領した時期もありましたが、1965年にマレーシアから独立後、現在の東南アジア地区の貿易拠点としての発展した礎は、ラッフルズの先見の明と200年前の契約にその起源があると言ってよいでしょう。

現在シンガポールにある最高級五つ星ホテルの名が〝ラッフルズ・ホテル〟であり、街の中心部に彼の銅像が2体建てられていることが、それを証明しています。


   




シンガポールに行かれた際は、最高級ホテルに泊まらずとも、黒い銅像とその複製の白い像を見つけて記念撮影を!


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